知佳の美貌録「淡路港の荷揚げ人足相手に」

当時大の大人が運びえる標準とされた荷物の重さは米俵でおよそ60キロあったことから、例えばセメントでも60キロ入りの袋に詰めてありこれを肩に担いでトラックに運ばされるものですから相当な労苦となり重さに耐えかね脊椎が歪んでしまうもの、腰痛を患うもの、落とすまいと懸命に力を込め支えるものだから指が九の字に曲がってしまうものなどが続出し、社会問題にもなりました。
淡路に今のような縦貫道が通じたのはずっと後の時代です。
それまでの淡路は四国側こそ開けていましたが大阪側は未開に近く、道は通じているもののとても荷を積んだ車は通れず、従って物品の運搬や人々の往来はもっぱら舟に頼っていました。
戦後大阪や神戸の発展が加速すると市民生活に直結する食べ物や燃料の産地として淡路が脚光を浴びたのです。
未開地に近かった淡路が着目され開拓され、人々がそこに集い始めたことで大きな町ができ淡路港への船の出入りは急激に増え始めました。
テーマ : 女衒の家に生まれ・・・ 高原ホテル
ジャンル : アダルト