遥けき入谷村
生活の基盤である煮炊きを支える産業として炭焼きなるものが生まれ、しかも小さな河川に沿って延々と低い山が連なる入谷村はこの方面では最も環境の良い地とされていて先を争って人々が入植していったんです。
しかしながら一旦入植し暮らし始めてみるとなるほど、これまで住み暮らした家々とは違い炭焼き小屋では夏は良くても冬ともなれば山を下りねばとても暮らして行けなかったのです。
そこでお隣同士、果ては村内全ての人々が寄り集まって大事業に向かう、いわゆる梃子という習慣が始まったのです。
次男三男などのいわゆる財産分与にありつけなかった者共が放浪の果てに辿り着いたものだからいざ梃子となると必要な技術はほぼ備わっているのです。
家を建てるにしろ道をつけるにしろこのことは実に便利に違いなかったのですが困りごともまた起き始めました。
土地の権利の問題です。 定住となると屋敷土地に田畑はひとくくりにして考えなくてはなりません。
無償の愛ともいうべき梃子の習慣が薄れ覇権争いが絡む梃子となっていったのです。