知佳の美貌録「今日は歴史のおさらいを 赤線の地位と女衒のやり口」

青線(あおせん)とは、1946年1月のGHQによる公娼廃止指令から、1957年4月の売春防止法の一部 特殊飲食店として売春行為を許容された地区と区別し営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に売春行為をさせていた区域を地図に青い線で囲み、俗に「青線」あるいは「青線地帯」、「青線区域」と呼んだとされている。 と記されている。
この物語に登場する女衒が支配する地区は定かではないが武士が支配していた時代遊郭と指定されていなかったものとみられることからここでは赤線(あかせん)と記すものの実情は青線(あおせん)ではなかったかと。 つまるところ飲食店どころか一般家庭内でも座布団を敷けば合意したものとみなし春をひさぐようになっていった地区ではないかと思われます。 それが今日、過去を洗うことへの足枷になっているのですが・・・
これは余禄です
FC2のアダルト部門が窮地に追い込まれたのはひとえに、風営法の許可を得ずして個人撮影の無修正動画を規制の緩いFC2を利用し個別に売り込んだり、誘い出してホテルや旅館などを利用し本番行為を行う人が後を絶たず、またそれを恥も外聞もなく宣伝材料としてSNSにアップする輩が後を絶たず、根こそぎ撲滅すべくFC2本体のサーバーに向かって使用許可を取り消したものと思われます。
赤線の地位
赤線が廃止になる前まで、ほんの一刻足を運べばそこには必ずと言っていいほど天城越え(娼婦と少年)にも出てくるような宿があり春を売る飯盛り女がいたし枕芸者もいた。 いわゆる旅人相手の私娼がいたのである。 この物語(知佳の美貌録 高原ホテル)に登場する地区も多分に漏れずそのような赤線が近隣に点在する地区でした。 江戸の吉原でもご存知のように、このような地区は一般的な街並みと相容れず、普通の婦女子は絶対に足を踏み入れない未開地とも思える荒れ地の果てに許され、あった。 しかも、そのような場所は教育上とか建前上忌み嫌われ赤線廃止と同時に地図にも書物にも載せられずひっそりとその姿を消していったのである。
赤線に続く道
一般市民が暮らす市街地と赤線との間には未開地ともいえる原野や許可なく入植した者が切り開いた田畑が存在した。 赤線に徒歩で向かおうとすると田んぼの畦道か原野の獣道のようなところを通らなければ辿り着けなかった。 だが春をひさぐ事業は儲かる。 そこで湯治のためと称し公的燃料(石炭や重油)を使わない、水力発電の電気で賄える、しかも軽い(敷設費用も安上がりな)電車を走らせたようだ。
女衒のやり口
このような僻地であるからこそ、貧農から騙し捕ってきた娘は無一文であり、親は莫大な借金を背負わされ恫喝されていることもあって逃げ出すに逃げ出せなかったのであろう。 女衒は娘を置き屋に売り飛ばしたのちも逃がさないよう見張り、枕営業で買おうとする、いわゆる旦那からせしめる権利の一部を手放さず、買いたい側(旦那)と買われる側(娼婦)の色恋の仲立ちを行うという形で暴利を得たのであり、その文を持たされ行き来したのが女衒の娘だったのである。
女衒の娘の役割
女衒の娘は売られてきた女の子に里心を持たさないよう(逃がさないよう)当初から遊び相手として自分の孫娘を紹介しておいたのである。 彼女はだから暇さえあれば売られてきた女の子が住み暮らす置き屋に出掛け遊んでやった。 年頃ともなれば春を売るための恋の相談相手を務め、彼女を買おうとする旦那の女を口説き堕とすための相談(風采や床上げの料金など・相互に合意が無ければ売り買いできない暗黙の了解があった)にも、墓石の字がスラスラと読めるがごとく読み書きができ、女衒と共に住み暮らすうち自然と身に着けた男女の仲の妙を知りえる故文持ちの役を持たされたのである。 年端もいかぬ娘ながらその実ヤリ手ばばぁのような役を担っていたのである。
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