知佳の美貌録「女衒の少女と売られた少女の住む街 その変容」
漁師が見つけた海中に湧き出る湯
その付近一帯を漁場とする漁師が最初に海中で温泉らしきものを見つけた。 漁師は素潜りでハマグリを獲ったりイワガキを獲ったりする。 もちろん魚類もだが・・・ この漁師の一人が素潜りで漁をしているときに海中の砂地から盛んに湧き出る湯を見つけ仲間にこの話をした。 近隣にそびえる山に降り注いだ雨が地中深く浸透し海中にミネラルをたっぷり含んだ冷水として湧き出でる。 だからこのあたり一帯のイワガキは肥え太り良質だともてはやされた。 その山は休火山に属するが、山頂からやや下った場所にかつてマグマが噴出したと思われる活火山独特のガレキ場(噴火口らしきもの)がある。 そこはその時代にあってなお、地面は僅かに地熱を帯びていた。 この山と先の湯が沸く海とは目と鼻の先、温泉が湧き出ても何ら不思議はない。 最初のころこそ漁師の気の病だと笑いものになった。 貧困を絵に描いたようなこの地区で、本気になって温泉を掘り当てようにも資金が続くはずもない。 ところが、土地の有力者が海賊船の宝探しよろしく興味本位で海中の泉源を見つけようとしたのである。 漁師は温泉の湧き出るこの付近に、見たこともない色鮮やかな魚がまるで竜宮城のタイやヒラメの舞い踊りのごとく群れ泳いでる様を見たという。 だが探せど探せど温泉は見つからなかった。 地表面に湯が沸き出でるようでなければ起業できない。 心が折れそうになった時やっと温泉を探し当てた。 1921年になってようやく線源を見つけたというわけだ。 この地のような風光明媚な、しかも海中に優良な泉源を掘り当てたとなると一気に笑いの種と高見の見学をしていた町や近隣の有力者どもの様相が変わる。 事実変わったのである。
海水浴場のような砂地に掘っ立て小屋の旅館を建てる
荒波打ち寄せる砂地の海岸に、とにかく誰より早く旅館を建ててひと儲けにあやかろうとするものがわんさと押し寄せてきた。 家を建てるのに法律もへったくれもない時代、皆が皆とは言わないが適当な土台石をかき集めそこに間に合わせの小屋を建て旅館とした。 風呂上がりの景観を競うように建てたものだからそのすべてが波打ち際に風呂や縁を構えるという風情で建っており、ほんの少し海が荒れると土台の下の砂がものの見事流れてしまう。 束石を失い家は傾く。 それでも懲りず建て直すを繰り返した。 ある時など大嵐級の嵐が来て泉源の塔(温泉汲み上げポンプ)やコンクリートの土台を用い建てられた旅館ごと海に流されたこともあったという。 それでもたちまち復興させた。 それほどにあぶく銭が舞ったのである。
あぶく銭の使い道がない富裕層にもてはやされ
はたから見れば掘っ立て小屋だが中だけは絢爛豪華、酒に肴、唄や踊りに酔いしれるとはまさにこれお殿様気分。 そこで宴もたけなわ部屋に引き上げ気に入った芸者と床入りとなるわけで旅館はもちろんのこと置き屋も女衒も笑いが止まらないとなるわけだ。 だからせっせと女衒は置き屋に女を買い付けてきて卸した。 その分女衒もその孫娘も売り上げが伸び忙しかったし、将来に夢をはせたわけだが・・・
栄枯盛衰
この地を温泉街にすべく私財を投入したのが1921年であるのに1925年にはもう鉄道(電車軌道)をが引かれている。 いかに享楽に飢え、街づくりを急がせたかがうかがえる。 それというのも、線路を引くためには女衒の住む街から凡そ1里の原野とも思える土地を切り開かねばならず、当然それは代々守り育てたお百姓の持ち土地とも重なる。 奪うことになる。 そこで敷設に当たって当時女衒の住む街の外れにあった私娼街を通すことを決め、これを街全体の交通の便を図ると言ってのけた。 さらに一般道だが、これも海の温泉街に行く途中、河の景観・山の景観を見せたら好評を得るのではないかということになり、一直線に温泉街に向かう(庄屋の土地とのいざこざを避ける)のではなくわざわざ河の方面に一度曲げ、温泉街に入って再び元に戻す案でまとまった。 つまりここでも「嫁殺し」の土地を強引に掠め取ったのである。 こうして素通しの道路整備を行うと一気に歓楽街へと発展していった。 「海に湯が沸く」たったそれだけの理由で当時、物珍しさも手伝ってか公園まででき(道路の終点がひとつめの公園で、別に軌道のそばに松林の中の自然公園が設けられた)観光客が殺到した。 この地を確保するにあたり「嫁殺し」とも言われる労苦を堪え凌ぎ開いてきた農地を、遊興目的であるにもかかわらず、将来街の発展のための政府方針によると称しタダ同然で窃取したにもかかわらず住民のため敷設していると述べたのである。 だが悪いことは続かない。 1938年 近く(温泉街の北西部)に陸軍の飛行場が建設されると電気軌道の電線が飛行の邪魔になるいうだけで電車軌道は廃止されている。 つまり、高々遊興目的のため政府の名をかたって鉄路敷設とは何事かと𠮟られたわけである。 女衒の家は駅前にあると述べたが、それは国鉄の線路で右の県庁から左の県庁をつなぐための鉄路と言っても差し支えない。 確かにこの駅は機関区である。 が、それは修理の場所を提供しているに過ぎなかった。 電車は主に港と夕闇迫るとにぎわう娼婦街を結んで設けられていたからである。
存続の危機に喘いだ幾年月
赤線廃止令がGHQより下る
連合軍による公娼を暗に禁じられ(1947年 昭和22年)売春防止法(1956年制定)によりまず表立っての置き屋が息を絶たれた。 それでも裏では相変わらず枕芸者を乞うこえもあり、細々と応じていたが・・・ 客引きのための公娼を禁じられたちょうどその年、地方の草競馬だった場所が公営競馬場となり、1953年(昭和28年)まで続いたことにより何とか裏家業で生きながらえたかにみえた。 だが、表だって芸者が買えないとあって次第に没落し裏の置屋も消えていった。 若い子を買い受けることができなくなり芸者が皆中年から初老になってしまったからである。
この地に優良な温泉源を掘り当てられ、
業界は一瞬ぬか喜びした、が、一時盛況に向かうと思われた女衒の
実はこれが最後のあだ花だったかもしれない。
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テーマ : 女衒の家に生まれ・・・ 高原ホテル
ジャンル : アダルト
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