知佳の美貌録「生涯一度だけの幸せな日々」

高原ホテルの主人公 久美がまだ幼かった頃、女衒は随分没落し女衒の持ち家は本家と散髪屋 (髪結いではない) の二軒だけになっていたようだが、夜逃げの末ここを訪れた久美にはそれでも近所の一般の家庭に比べたら随分と広い屋敷に住んでいたような記憶がある。
女衒家が最盛期だったころ3軒の家を持っていたと書きましたが、上の説明での散髪屋はどう見ても、構造上からも商売に使うだけのため建てられた家であり、3軒のうちの1軒に入っていない筈なので、一般的な民家風の家2軒はこの時点では既に人手に渡っていたものと見てよいとおもいます。
つまり好子が生まれ育った家は久美の記憶にある大きな屋敷よりさらに大きく、好子の話しと統合するとまず当時住むことを許された地区(部落と忌み嫌われ棲み分けされた地区)と位置や雰囲気が多少異なるからです。
今風に言えば産後の肥立ちが良くなるまで実家に里帰りしたことになりますが、その実ちゃっかり居候を決め込んで帰ってきており、元気になっても元いた場所に帰ろうとしなかったのです。
幸吉は知り合ってしばらくは暇さえあれば好子に手を付けたようで、収入が無いにも関わらず好事家(将棋ではなくオンナに対しマニアックの意)であったらしく、好子も二番目の男の子を産んで間もなくで働くこともできず、仕方なく女衒の家に居候させてもらっていたようでした。
その、ある意味下賤と思っていた家が片田舎の議員宅の食事とは比べ物にならないほどの豪華さ、おまけに別に肴と酒が添えられる、それにもまして町家人の働かないことこの上ない。
それはそうだろう。
田舎といえば朝、陽のささないうちから起き出して例えば農婦であったら牛や馬に与える朝草刈りに出掛ける。
議員宅であっても自給自足の畑ぐらい持っているので当然周囲の人たちと同様に朝間仕事をこなしてから粗食を頂く。
ところが髪結いなど、陽がすっかり昇ってから客が来たのに合わせ(いらっしゃいに合わせ)仕事が始まる。
すっかりぐうたらが板についた幸吉、食い扶持分髪結いの技を覚えるでもなく食っちゃ寝るの日々を過ごした。
旦那や子供たちの食い扶持分働かねば置いてもらえない筈なのにである。
好子は肥立ちがどうのと言っておれず老いたというより資産が無くなり暇を出された端女に代わって今や実質的な理髪店の経営者である次男の、あの漁師の家から嫁いできた嫁の役割であるはずの家事一切を、祖母に気に入られるようこなさなければならなかった。
わけてもというより、少しでも自分が産んだ男の子のことをよく見られたくて懸命に立ち働いた。
女衒もまた、時代に合わせ男の子を大切に扱ってくれたから助かりはしたが・・・
確かにお姫様育ちのご隠居さんに女衒は一目置いていた。 だが肝心なこととなるとご隠居さんであっても女は蚊帳の外に置かれた。
家系として好まぬ相手と結婚し生した女の子 久美など女衒は眼中にもおいてくれなかった。
邪険に扱うというほどではないが、多少熱が出たりしても面と向かって心配してくれない。
そこへいくと祖母は何かと目を向けてくれた。
そしてなにより祖母は久美に対して優しかった。
以前にも書いたがこの祖母は、家の誰より早起きしきれいに髪を結いあげ化粧し朝を待つ。
朝食を終えると自分のためだけの茶を点てる。
その祖母が毎朝久美に抹茶を立ててお菓子を添えて出してくれた。
このことは、たとえ大切な次男の嫁であっても一度たりとも点ててやったことはないという。
その高価で大切な茶を久美には点ててくれた。
だから抹茶が切れたとき、近所のお茶屋さんに抹茶を買いに行くのは久美の役目だった。
祖母から幾許(いくばく)かのお金を持たされお店に行くと、値段と不釣り合いと思えるいつも通りの高給抹茶を出してくれ「ご隠居さんによろしく」と必ず言葉を添えてくれた。
何故に不釣り合いな品と思えるかというと、この時すでに久美は生活苦の一端を担わされていたからおのずとモノの値段を知りえたのであるが・・・ ともあれ祖母は年老いて頭髪は真っ白(白髪)だったにもかかわらず、早朝に起き 綺麗に髪を結い上げ、きちんと着物を着て化粧を済ませ、家族が起きてくるのを待つのが習慣、それ以外社会のことは何も知らされていなかった。
だから恐らく、抹茶代の不足前(たらずまい)は後程家人か女衒自ら届けたのだろう。
その特別な抹茶を作法に頓着せず点ててくれた。
下賤な商売をし、さぞかし近所の評判も悪かったろうと思うのに祖母だけは「ご隠居さん ご隠居さん」と敬意をもって呼ばれており、近所の子供たちの手習いもお金をとらず行っていたからだろうが・・・粗野な口をきいたことなぞ、まるで記憶にない。
それほど町人には無い高貴な居住まいを守っていた。 そんな祖母が久美はことのほか自慢だった。
抹茶を点ててくれる時など、お点前を務めてくれる久美を喜ばせたく女衒にお菓子を出してくれと祖母は頼むのだが、玄関先の任侠映画でよく見る木製の大きな火鉢を前に煙草をふかしながら腰掛けていた女衒はそのお菓子を背中側にある鍵のかかる茶箪笥からいちいち鍵を開けて必ずひとつだけ しぶしぶ出してくれる。
つまり自慢の妻であってもお菓子の類を自由に与えないでいた。 その、貴重なひとつの和菓子が久美子の抹茶には必ず添えられた(自身の茶を点てるとき、お菓子は無いからつけないのが常)。 それも自慢だった。
たまたまお菓子を切らしているときなど(女衒が出してくれようとしないときなど)、祖母は台所からひとつまみの砂糖をお皿に乗せて「ごめんね」といって出してくれ、それをお菓子代わりにと抹茶を点ててくれた。
この時代になると本物の砂糖(偽物というわけではないがサッカリンが庶民の砂糖だった)は貴重だった。 それを自分にというのがお菓子以上にうれしかった。
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