知佳の美貌録「明日を夢見て 地獄の始まり」
まず第一に借りてくれた部屋の壁が違った。 飯場(はんば)小屋のそれは軽量鉄骨造りであれば鉄板で、木造であれば杉の板で隙間なく囲ってあったが、解体した廃屋をかき集めて作られている賃貸のこの家の壁の板は不揃いで、隙間だらけで見方によっては表と裏が素通しのようなものだった。 一般的な古来の建築法でいうところのぬりかべ(真砂に短く切った藁を混ぜ、水を加えて練ったものを竹で編んだ格子の上に塗った保温・保湿に優れた壁)など用いようもなかったのであろう。 ともかく酷かった。 貧民屈とは行き場を失った得体のしれないものの集団。 根が幼い姉弟、始終どこからか見張られつつ寝起きする恐ろしさ。 疲れ切っているはずなのに眠れない日々が幾日も続いたという。
わが身可愛さの下手な言い訳
飯場(はんば)生活は、姉弟にとって それでも穏やかに過ごせた方だった。 だが、久美が7歳になった春、あんなに頑張って立ち働いてきたのに突然地獄が待ち受けていた。 そう、久美も法律に従って小学校に通わなければならない年齢になっていた。 役所はこういったところは律儀に調べ上げ、どこに住まおうが義務教育を敢行させるべく通知を送ってよこす。 加えて先にも述べた通り、好子を追って官憲の手が伸びていた。 いくら居心地が良いにしても半ば下手な理由をつけ、半ば夜逃げ同様に動かざるを得なかった。 親としてというより、自分たちの都合を考え親子が離れて別々に暮らす方が己らは見つかりにくいと考えたのであろう。 久美たち姉弟は(ここがこの夫婦の理解できない点であるが)、基本的にはたったふたりで大阪に移り住んだ。 いや、邪魔者扱いされ、半ば強引に官憲の目の届きにくい場所に移り住まわされた。
路上生活よりまだ酷かった貧民窟
そこがなんという街か、おおよそどのあたりかも覚えていないというが、家の前には確か地面に溝が掘ってあり、どぶ板が渡してあって饐えた臭いがあたりに充満していたというから、おおよそ写真のような場所ではなかったかと思われる。 久美はいまだ小学1年生になったばかりで、弟とは2歳違い。 よく覚えていないが・・・、というのは当然のことであるが 詳しく生活状況を聞いてみると以下の通りのようである。
まず、「ふたりで住まえ」というのは両親は稼ぎ場所(そういい聞かされていた)を飯場(はんば)に置かざるを得なかったこと。 現場にとって大事な発破職人であったことなどなど屁理屈を垂れたが・・・子供心に違うような気がしてた。 その証拠に、時々父親だけが帰ってきてお金を置くと泊まることなく早々に立ち去ったというくだりがある。 後にも述べるが、時に(当初はと言っておこう)顔を出す(生活費を届ける)のが当初1ヶ月毎だったものが、やがて2ヶ月になり、そして3ヶ月経っても来てくれなかったこともあるという。 飯場(はんば)なら給与は月末払いだから2ヶ月~3ヶ月持ってこないというのは親であるならば常識では有り得ない。 詳しくは後に述べる。 あくまで想像の範疇を超えないが・・・恐らく、子供を逃がす場所は最初に女衒家から大阪に逃れてきたときの、あの知り合いの家近くなら安全だとでも思っていたのかもしれないから、今でいう「手厚い保護があるあいりん地区(比較的官憲も調べやすい地区)ではなく地域全体が荒んでおり誰しも立ちることさえはばかられる八尾あたりかとも。 そうしておけば、時折友達夫婦のどちらかが様子を観てくれるとでも思ったのだろうが、実際には一度も来てくれたことは無かったというから世間とは薄情なものである。 ともかくこうやって小学1年生の姉と2歳年下の弟との ふたりきりの生活が始まるのである。
飢えと寒さに震えながら
ここでもまた夜逃げ同然出てきたのだから気の利いた家財道具など一切無い。 台所と言えば小さな流し(水が蛇口から出て甕に流れ込むだけの粗末なもの)と竈 (くど)のみで、畳の代わりに莚が敷かれた4畳半ひと間(押入れなど無し)しかない長屋の中でも最も小さな借家。 隙間だらけの部屋で飯場(はんば)で使っていた煎餅布団一組を使って互いの躰を温め合いながら寝た。 食事にしてもしもた屋の土間に据え置かれた流しと竈(くど)を使って久美は弟のために米を研ぎ薪でご飯を炊き、弟に食べさせていたという。 それもこれも母の好子から教え込まれたわけではなく飯場(はんば)の、あの子守りを頼んできたおばさんに仕込まれたもの。 トイレは外に共同のものがあるが、風呂はなかったという。 時がたつに従い着ているものも躰も垢にまみれ貧民窟相応の出で立ちになっていったのである。
育児放棄され育った子は所詮、我が子にも育児放棄を繰り返す
女衒の家での居候が悪かったのか、それとも飯場(はんば)の上げ膳・据え膳が悪かったのか、基本育児放棄され育った幸吉夫婦は宵越しの金を持たない、子育ての何たるかを知らなさすぎる親だった。 暇さえあれば、金さえあれば好子は旦那のある身で外に男を求め彷徨い、幸吉は幸吉で勝負師として後輩において行かれ、忘れ去られようとする情けなさを、我が女房でさえ寝取られてしまう情けなさをごまかすため博打にうつつを抜かす。 本人たちは子供に向かい飯場(はんば)務めと口走っているものの、おそらく追われる立場上稼ぎが減ろうとも職を、あの暁暗にトラックで人夫をかき集めるような業種のところを転々としていたのであろう。 だから父親が持ってくるお金、それは約束ごとのないお金。 次に来るという保証はどこにもなかったのである。 お金をもらった日には弟のためにコロッケを2つ買って贅沢この上ないオカズとしたと久美は懐かしそうに言う。 それが生まれてこの方最高のごちそうで、これまで食べたことのないほど美味しかった記憶があるというが、そのあとは糊の佃煮(少量でもご飯のオカズになるという理由から)になり、かつお節に醤油をかけたものとなり、次第に質素の極致になり、終いには塩・醤油をご飯にかけて食べ繋いだという。 それでも食べられるだけ幸せだったとも。 そう、肝心の竈 (くど)で焚く薪などは高価で買えるはずもないから姉弟が協力し拾い集めてきていたのである。 お金が3月(みつき)も入らなくなると(頻繁にそのようになる)、いよいよ食べ物にこと欠き、学校給食の残り(持って帰れるもの 例えばパンなど はすべて持ち帰った)をこっそり持ち帰り、飢えさせないよう弟に与えたともいう。
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