知佳の美貌録「飢えと孤独 先生のお弁当」

精気が無く追い払うことのできないものだから生き血を啜れるとみてか寝床はおろか着ているものにも蚤やシラミがたかっていた。 そんなみじめな姿を見られるのが嫌で、それでも興味から物陰に潜むようにして辺りを窺い暮らす子供たち。 そのことがますます嫌われる理由となったのである。
明治・大正から昭和中期にかけての日本にはこのような文化を後世に残さねばならないという思想がそもそも存在しなかったのではなかろうか?
それを今回、このブログの文章に見合う画像を探しながら感じました。
きれいごとの写真は確かに数多く存在しますが、庶民生活の片隅を映した画像は公共の図書館とかではついぞ見つかりませんでした。
この物語の主人公の母が女衒の言いつけで使いをさせられた街の歴史書などはあえて作らず、いや、誰かが密かに作ってはいたとしても強制的にある時期、官憲によって廃棄処分にさせられたようなのです。
つまり、今回の掲載文に登場するような写真とか隠れ遊郭の写真はもちろん存在自体闇から闇に一部富裕層の都合で葬られていったんです。
そう、庶民を映してみたところで需要など見込めないどころか、かえって綺麗事で覆いつくそうとする政策の邪魔になると考えたのでしょう、地図に写真、撮影者の存在すら消されてしまうような世の中だった(その辺りは現代もそう変わりはないが)んです。
それでもこの物語を書き進めなければならないわけとは、このような環境や時代背景なくして女衒の家に生まれ・・・「高原ホテル」は語れないからです。
前書きはこれぐらいにして、「腹を空かせた弟のために」で書いたように父親の持ち帰る(正確には同居していないから届けるだが)お金は徐々に減ってゆき、学費どころか給食費も払えない状況となる。
こうなると大きな顔をして給食時間に教室に居座ることが生活保護生活保護とバカにされ育って来た者の心情としてできなくなる。
つまるところ給食時間になると周囲にそれと知られぬよう教室を離れ隠れ潜み、武士は食わねど高楊枝ではないが幼いながらもやせ我慢し食べないでその時間を何とかやり過ごすしか方法はなくなる。
どんなに厳しく言われても、たとえ教頭に殴打されても(実際に幾度もやられた)持って来ようのないものは持ってこれない。
精神が錯乱したかのようなフリを装うしかなかった。
卑屈と受け取られるかもしれないが、当時の(いや、一部の人にとって今でもかもしれない)生活保護家庭の子供らが普通の家庭の子供に抱く気持ちは凡そ同じだった。
姉が給食を食べることができない → 弟に持ち帰るコッペパンも持ち帰れない…ことになってしまうのである。
前回の文中に挿入した画像に先生が給食を配るシーンがある。
何度も書くが時は東京オリンピックが執り行われた、あの時代である。
普通の小 学 校なら白い給食服に身を包んだ給食当番なる生徒たちが調理室まで給食を取りに行き、教室に持ち帰って配っていた。
当時未だ久美の通う学校では教師がバケットから椀に注いでやり、生徒はそれを受け取り席に持ち帰る方式をとっていたようで、心ある担任なら配る時も食べる時も共に行動したであろう。
一体感を養うためであったし、食べ残しを許さなかったので確かにこれは上層部からの命令であり見張りのつもりだったのかもしれない。
ところが久美は、この給食時間になると教室から姿を消してしまうのである。
給食当番制のある学校ではありえない光景であるが、貧困層が多いこの校区ではこれが当たり前の光景であったようだ。
久美が給食時間になると教室から姿を消す、その事情は同級生の貧困にあえぐごく一部の生活保護家庭生まれの者たちは当然知っていた。
知っていながらどうすることもできなかった。
担任もなんとなく理解してはいた。
理解してはいたが、親が貧困のため払えない子供たちはこの時代には他にも沢山いた。
だから生活保護なるものが存在しこういったことが行われていることは知ってはいたが、その子らの親は保護費を受け取ったからには払うものを払ってもらわなければならないのは当然のことと教頭に尻を叩かれていたので久美ひとり依怙贔屓はできなかったのである。
しかし、いつまでたっても久美は学費も給食費も持ってこなかったし、担任にとっても預かっている子供が昼休憩の時間だけ行方不明になるというのは責任問題にもなりかねない。 これにはさすがに困惑した。
一方は戦前の軍国主義よろしく、大上段に立って口舌を垂れるもの。
眼下の面々に御上のご意向に沿うよう号令をかけるもの。 教頭や校長がそれだ。
他方は富裕層出のボランティア精神に則って教師を志し教壇に立つもの。 今回の久美の担任がこういった方だった。
戦前・戦中に教師をしていた軍国主義の生き残りとGHQが推し進めてきた平和主義のそれが入り乱れ、前者は決して権力を手放そうとせず後者は争いを嫌い穏便に事を運ぼうとした。
久美が通っていたこの小 学 校はこの典型的な学校だったのである。
それというのもこの時代、一部の担任はそれらの子供たちの学費を自腹で穴埋めするという暗黙の了解があり給料を前借し、それでも穴埋めできず生活費にも事欠くなどということが珍しくなかったからである。
そのため子供たちには事細かに通信文を持たせなんとか回答を得て自発的に持ってきてくれるのを待っていたが、久美の家庭からは何度通信文を持たせてもこれまで一度も連絡が来たことはなかったからである。
このまま放置するのは担任としてその責任上できなかった。
最後の手段として教頭から命じられていたのが取り立てを兼ねた家庭訪問をせよであった。 だが、それすらも両親からの了解は得られず直接久美にご両親の在宅の有無と訪問日の都合を聞くことになる。
その段になってやっと久美の口から両親の行っている仕打ちを聞き出すことができた担任の女教はただただ驚愕した。
東京オリンピックがどうのといわれるこの時代に、まだこういったことが平然となされていることにまず驚いた。
周囲の大人連中が見て見ぬフリするどころか、一緒になって叩きまわすと聞かされ慄いた。
穏便な富裕層育ちの女性教師に、たまさか面と向かって本当かどうかもわからないのに貧民窟層と聞き及ぶ町内に、両親が一緒に住んでいない家に取り立てに乗り込むわけにもいかない。
以降の親への対処は上層部に任せ翌日から先生は久美のため弁当を作ってきて同級生たちには見つからないようこっそりと久美に渡してくれた。
もちろん夜、久美と弟の食べる分も別に分けて持たせてくれたのである。
ただ、弁当といっても他の子どもたちの目もあるし担任も食べていくのが精いっぱいの時代。
それでなくとも久美を打ち据えた教頭の目もある。
そこで先生はお弁当箱に代え、大きなおむすびを持ってきて手渡してくれるようになった。
これだと鞄の中に容易に隠せ、別の場所でササっと食べることも、もちろん余った分を素知らぬ顔して持ち帰ることもできる。
おむすびの中に何かを、ほんの少し入れて握ってあった程度のものだったというが、久美にとっては涙が出るほどうれしかったという。
久美はこのおむすび弁当をこれまでのように給食時間になると教室を抜け出し、物陰に隠れた食べた。
他にもこの先生が施してくれたことは様々あるが、こうやって久美たち姉弟はようやく飢えから脱し人間並みの食にありつけたのである。
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