知佳の美貌録「飢えと孤独 先生のお弁当」
前書きはこれぐらいにして、「腹を空かせた弟のために」で書いたように父親の持ち帰る(正確には同居していないから届けるだが)お金は徐々に減ってゆき、学費どころか給食費も払えない状況になる。 こうなると大きな顔をして給食時間に教室に居座ることができなくなる。 つまるところ給食時間になると教室を離れ隠れ潜み、食べないで我慢するしかなくなる。 どんなに厳しく言われても、たとえ教頭に殴打されても持って来ようのないものは持ってこれない。 精神が錯乱したかのようなフリを装うしかなかった。 卑屈と受け取られるかもしれないが、当時の(いや、一部の人にと手って今でもかもしれない)生活保護家庭の子供らが普通の家庭の子供に抱く気持ちは凡そ同じだった。 姉が給食を食べることができない → 弟に持ち帰るコッペパンも持ち帰れないことになってしまう。
教室から抜け出すことを許した時代背景
前回の文中に挿入した画像に先生が給食を配るシーンがある。 何度も書くが時は東京オリンピックが執り行われた、あの時代である。 普通の小学校なら白い給食服に身を包んだ給食当番なる生徒たちが調理室まで給食を取りに行き、教室に持ち帰って配っていた。 当時未だ久美の通う学校では教師がバケットから椀に注いでやり、生徒はそれを受け取り席に持ち帰る方式をとっていたようで、心ある担任なら配る時も食べる時も共に行動した。 一体感を養うためであったし、確かにこれは食べ残しを許さなかったので上層部からの命令、見張りのつもりだったのかもしれない。 ところが久美は、この給食時間になると教室から姿を消してしまうのである。 給食当番制のある学校ではありえない光景であるが、貧困層が多いこの校区ではこれが当たり前の光景であったようだ。 久美が給食時間になると教室から姿を消す、その事情は同級生の貧困にあえぐ、ごく一部の生活保護家庭生まれの者たちは当然知っていた。 知っていながらどうすることもできなかった。 担任もなんとなく理解してはいた。 理解してはいたが、親が貧困のため払えない子供たちはこの時代には沢山いた。 だから生活保護なるものが存在した、保護費を受け取ったからには払ってもらわなければならないのは当然のことと教頭に尻を叩かれていたので久美ひとり依怙贔屓はできなかったのである。 しかし、いつまでたっても久美は学費も給食費も持ってこなかったし、担任にとっても預かっている子供が昼休憩の時間だけ行方不明になるというのは責任問題にもなりかねない。 これにはさすがに困惑した。
教師は二通りある
一方は戦前の軍国主義よろしく、大上段に立って口舌を垂れるもの。 眼下の面々に御上のご意向に沿うよう号令をかけるもの。 教頭や校長がそれ。
他方は富裕層出のボランティア精神に沿って教師を志したもの。 平の教師がそれ。
戦前・戦中に教師をしていた軍国主義の生き残りと、GHQが推し進めてきた平和主義のそれが入り乱れ、前者は決して権力を手放そうとせず、後者は争いを嫌い穏便に事を運ぼうとした。 久美が通っていたこの小学校はこの典型的な学校だったのである。
教頭が久美を打ち据えたわけ
それというのもこの時代、一部の担任はそれらの子供たちの学費を自腹で穴埋めする暗黙の了解があって給料を前借し、それでも穴埋めできず生活費にも事欠くなどということが珍しくなかったからである。 そのため、子供たちには事細かに通信文を持たせ、なんとか回答を得て自発的に持ってきてくれるのを待っていたが、久美の家庭からは何度通信文を持たせてもこれまで一度も連絡が来たことはなかったからである。 このままでの放置は担任としてはその責任上できなかった。 最後の手段として教頭から命じられていたのが取り立てを兼ねた家庭訪問。 だが、それすらも両親からの了解は得られず直接久美にご両親の在宅の有無と訪問日の都合を聞くことになる。
大きなおむすびがやってきた!
その段になってやっと久美の口から両親の行っている仕打ちを聞き出すことができた担任の女教。 ただただ驚愕した。 東京オリンピックがどうのといわれるこの時代に、まだこういったことが平然となされていることにまず驚いた。 周囲の大人連中が見て見ぬフリするどころか、一緒になって叩きまわすと聞かされ慄いた。 穏便な富裕層育ちの女性教師に、たまさか面と向かって本当かどうかもわからないのに貧民窟層と聞き及ぶ町内に・両親の棲み家に乗り込むわけにもいかない。 以降の親への対処は上層部に任せ翌日から先生は久美のため弁当を作ってきて同級生たちには見つからないようこっそりと久美に渡してくれた。 もちろん夜、久美と弟の食べる分も別に分けて持たせてくれたのである。 ただ、弁当といっても他の子どもたちの目もあるし担任も食べていくのが精いっぱいの時代。 それでなくとも久美を打ち据えた教頭の目もある。 そこで先生はお弁当箱に変え、大きなおむすびを持ってきて手渡してくれるようになった。 これだと鞄の中に容易に隠せ、別の場所でササっと食べることも、もちろん余った分を素知らぬ顔して持ち帰ることもできる。 おむすびの中に何かを、ほんの少し入れて握ってあった程度のものだったというが、久美にとっては涙が出るほどうれしかったという。 久美はこのおむすび弁当をこれまでのように給食時間になると教室を抜け出し、物陰に隠れた食べた。 こうやって久美たち姉弟はようやく飢えから脱し人間並みの食にありつけたのである。
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