知佳の美貌録「夜逃げ そして転校」

だから学校の環境もまるっきり違った。 転校先の学校がもし、今まで教わってきた授業より遅れていたらボーッとして過ごせるが、進んでいたりしたらそこいらはまだ教わっていませんなどと口にしようもない。 隠れ忍んで引っ越して来たからには誰に聞きようもない。
疎外感を肌で感じながらもそうと悟られぬよう独学で教科書を読み学ぶしかなかった。 それはそれで辛かった。 久美は学業の傍ら弟のために家事をこなさなければならなかったからだ。 が、それにも増し そもこの時代はまだ広く社会などというものは習っていないし親も教えはしないから転校生であるがゆえによそ者として扱われ学校に行くとよそ者が紛れ込んだとしていじめられた。 いじめが治まるまで、諦めてくれるまでジッと耐えなければならなかった。
ただでさえ食うや食わずの生活を強いられ、やっと将来の見通しが見え始めた矢先に得体のしれない宿なし風の輩がいずこからともなく小集団に紛れ込んで徘徊しまくる。
表向き笑みをたたえながらその裏で某国で繰り返されてきた密告の類に似た排他的思想を親がさも憎らし気に語る。
すると親に代わって子供たちが先の大戦で敵国に向かってやらかしたことと似通ったことをやらかした。
悪いことをやっていると分かっていても教師がこれに対し面と向かって叱るわけにはいかないのがこの地区・時代ならではの生きる術だった。 すなわち上は教育委員会が、末はいじめっ子の親が、果ては我が身がこれによって堕ちるのが怖いのだ。
幸吉・好子夫婦は怒りに似た刃を相好を崩す相手に突きつけ脅し、怯んだその間に盗るものを取って我先にと雲隠れする。 そんなこととは露知らない久美は泥だらけになった理由をいじめられてと口にしてしまう。 ここぞとばかりに相手の家に酒の力を借りて殴り込みをかける。 子供に代わって親が仕返しをするのだ。
すなわち、小集団からなけなしの働きを両親が奪いその利を得ておきながら育児放棄をやらかす。
そうして得た利益はやがて迷惑をかけよう我が子供に与えず飲む・打つ・買うに費やしてしまい、子育てを小集団に社会的責任のように称しおっかぶせる。 殊に教育者に向けてそれをやった。
相手は相手で足手まといと思われた老いて使い物にならなくなった、或いは力のない女どもを職場から地区から追い出すように仕向ける。
怒られ、邪魔者扱いされて当然だった。 その罪なき罪を一身に背負ったのが久美姉弟だった。
小 学 校時代の辛かった思い出に、夕やみ迫る誰もいなくなった公園で寒風吹きすさぶ中、姉弟ふたりっきりで居残って遊び続けた記憶がある。
遊びに飽きると周囲の子は三々五々家路につく。
だが久美は頑なに弟を帰さなかった。
遊ぶことで家路につくことができないようにし、時間を潰した思い出があると久美は語ってくれた。
例えば、誰も乗らなくなったブランコに姉弟が隣あって乗って歌を歌って「帰ろう」という弟を一生懸命引き留めた記憶がであると。
その理由が、夕方になれば普通遊んでいる子に向かって「ご飯の時間だから帰りなさい」と母たちは我が子に声をかけ、あるいは友達同士でも「もう暗くなってきた お母さんに叱られるから」早く帰ろうと声をかけあったものだ。
決まり文句のように、周囲の大人もそうやって子供たちを家路に向かわせたものだ。 だが、久美たちにはその大切な何か、帰ったら誰かが待っていてくれる安らぎを覚える家庭などというものが元々なかった。
仮に夕やみ迫るころ家に帰ってみても家に明かりは点いておらず食べ物も無いなら体を温めてくれるはずの炬燵に火すら入れてくれてない。
第一親が長期にわたり何処にいるのか それすらさっぱりわからないし、いつ帰って来てくれるのかも、もちろんわからない。
わかるのは手元にモノを買うべく何ひとつないこと。 だから、それらを忘れさせるために久美は弟を誘ってひたすら公園で時間を潰させた。
弟は暗くなるし寒いし腹も減ったのだろう帰りたくて駄々をこねたが、その都度久美が何とか上手に言い聞かせ、別の遊びを見つけては公園にとどまらせ続けた。
その時間帯の長かったこと。 が、こんなにして頑張り続けても肝心の母親は世間と違うことをしていたのを暗に久美は知っていた。
飯場(はんば)では仲間の漢たちとの間で母が何をやらかしていたかを、漢たちの、自分たちの母の背に向け走る熱い視線の意味を久美はうすうす気づいていたからである。
餓えて明日の希望さえ見失いかけていたときに、先生は弁当を作って持ってきてくれた。
おにぎりを手渡してくれた。
あの幸福な時間は長く続かなかったのである。
あの幸せと感じたそれと同じころ、飯場(はんば)にいるはずの幸吉・好子夫婦のもとに学校関係者、ことに教育委員会から呼び出しがかかったという。
担任の家庭訪問があった数日後のことだったと、のちに先生から聞かされた(好子が学校に怒鳴り込んだ日、そうとは知らず、むしろ良いことと勘違いし話してくれた)。
学校に呼び出された好子は「こちらにはこちらの事情ってもんがある」と職員室で、久美の前でまくし立て、さっさと久美の手を引いて学校から連れ帰ってしまったものである。 学校に対し侘びも礼も言わずにである。
ここらあたりが好子のお里が知れるところであるが、ひとつには呼び戻されたことへの激怒と羞恥(無学で官庁は殊に苦手)、もうひとつは稼ぐ場所(隠れ潜む場所)を新たに探さなければならなかったことへの不安によるものであろう。 が、散々遊びほうけていたにもかかわらず夫婦して貯蓄などなく久美たちが暮らしていた家の家賃はもとより、お世話になった学校に滞納した授業料など当然といった風に踏み倒し、尻に帆掛けて逃げることになる。
皮肉にも、あの日教頭が久美を強かに打ち伏せたその正当な理由を、それでも庇ってくれた担任に皮肉にも実の母が指し示す形になってしまった。
小説に、予科練崩れで心を失い酒におぼれる漢を、パンパンをしながらそれでもつかず離れず寄り添おうとする女の話が出てくるが、この夫婦はそれによく似ていた。
幸吉は飲めば飲むほどに荒れ、人間らしさを失う。
それを何故か必死に繋ぎ止め、立て直しを図ろうとする女。
とうの昔に青線は禁止されている。 にもかかわらず得意の客あしらいで好子はロハで飲ませてくれる飲食店(客寄せ・パンパン売り上げ目的)に乗り込み巧みにオトコをあしらい稼ぎまくった。
そうやって稼いだ金の中から、幸吉に飲みたいだけの酒と肴を買い求め持ち帰って与える。
幸吉は幸吉で女房の不貞を疑い、棋界から置いて行かれた悔しさに心をゆがめる。 なのにせっせと昼間は土工をし、夜ともなれば店に出向く好子。
店は流行にに流行った。 それはそうだろう、昼間土工で鍛えた屈強な漢たちの荒くれた気をなよ腰で散々惹き付けておき頼まれて店に出ている本当の理由をそれとなく明かす。 それから先は暗黙の了解で、来てくれたらくれたで散々飲ませ、足りないと見るや二階に誘う。
店名が、立ちんぼの名が世に知れ渡り、危うくなるとまたぞろその店にも告げもせず夜逃げした。
最初にこの場所に逃げ延びた時、もうすでに次の逃げ場を探しあてていたかのようなすばしっこさだった。
気ままな生活を旨とした好子たちは子供たちのことより、まず自分たちの立場が先だとばかりに飯場(はんば)を、世話してくれた業界を再び頼って淡路に夜逃げしてしまう計画を咄嗟に立てる。
原因は家庭訪問に来てくれた先生を業界の取り立てと勘違いしスジ者のような態度をとってしまったことによる。
恐れをなした教師は官憲に連絡を入れ、巡査が調べに来たからだ。
酒で狂った頭で ”とうとう手が回った” と勘違いし、妻と共に注げたものだ。
先生はもちろんのこと、教室の誰にも転校の言付けなどすることなく深夜寝ていた姉弟は突然たたき起こされ、ひっそりと、しかし慌ただしく住んでいた家を抜け出し行先も告げず夜道を駆け・・させられた。
こんなこともあろうかと、家財道具などはほとんど持っていなかったから着の身着のまま夜逃げとなった。
当時、淡路の港は賑わっていたという。
そこに向かうに、艀 (はしけ) に乗りたいもののお金がないからどうあっても乗れない。 幸い 島に向かう貨物船の情報を聞きつけていたので出航に合わせるべく夜道を駆けたのだ。
舳先から乗り込んで船倉に隠れた。
艀程度の小さな船ながられっきとした無賃乗船 (密航) である。
見つかればどんな目に合わされることかと心配しつつ、テレビドラマなどでよくやる真っ暗な水面下にある船倉 (船の地下室) に潜んだ。 これが久美にとって最初の暗闇の恐怖だった。
淡路に着いた好子は早速業界の世話でそれなりの客 (旦那) を得た。
幸吉が酒浸りで遊んでいてもなんとか暮らし向きが立つ収入を約束してくれる客をだ。 が、それは子供の世話に明け暮れるのではなく幸吉の世話に明け暮れるのでもない。
男の世話に明け暮れることになる。
一方久美は、母親が付き添ってくれるわけでもない次に行く小 学 校にひとりで出向いて転校手続きをさせられた。
母親が一緒に行ってくれるものとばかり思っていたが、母親が手伝ってくれたのは当日久美を伴って学校近くまで行き 「あれが今度行く学校だ」 と指し示し 「自分のことなんだから自分でちゃんと先生に挨拶して入れてもらいなさい。授業料なんかは後で親が持っていくといっていたと伝えなさい」 と。 こう告げて自らはさっさとお客の元に向かってしまった。
久美は久美であの母親ならと心得ていて、前の学校で使っていたカバンに前の学校で使っていた教科書を入れ背負って、前の学校で着ていた制服を身に着けこの学校関係者 (生徒ではない) に職員室の場所を聞き、真っすぐ職員室に向かいためらいもせず入った。
戦後復興で盛況を見せている淡路のこと、教師も慣れていたのか名前も告げず職員室に入っていっただけでそれとわかったらしく担任が名乗り出てくれ無事手続きは済ませた。
久美の出で立ちに担任教師こそたじろいだ。 が、違う制服を着た子供が校内に現れたら大騒ぎになることを久美は過去の苦い経験からわきまえていた。
執拗ないじめである。
実に白けた悲しい話だが、こういったことがこれまでもそうであったが、これから幾度も久美の上に繰り返されることになる。
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