知佳の美貌録「淡路港の荷揚げ人足相手に」
淡路に今のような縦貫道が通じたのはずっと後の時代です。 それまでの淡路は四国側こそ開けていましたが、大阪側は未開に近く、道は通じているものの、とても荷を積んだ車は通れず、物の運搬や往来はもっぱら舟に頼っていました。 戦後大阪や神戸の発展が加速すると市民生活に直結する食べ物や燃料の産地として淡路が脚光を浴びたのです。
生産物が集まる港
未開地に近かった淡路が着目され開拓され、人々がそこに集い始めたことで大きな町ができ淡路港への船の出入りは急激に増え始めました。 地元では食えなくなった次男坊や三男坊が開拓団として入植、しかも大阪とはずいぶん隔たり交通は船と限られていましたので、官憲から逃げ惑う幸吉や好子にとってこれほどしのぎやすい、身を隠しやすい場所はありませんでした。
夫は荷揚げ人足、妻は日雇い人足
未開地が開拓され、そこで生産された産物を港に集荷する要に迫られると、どうしても道路の整備が急務になり、港湾開発や公共施設、住宅建設が増えます。 幸吉こそがそこに目をつけ元々土工で稼ぐつもりでいましたが、どうにも現場監督なるものとの軋轢があり勤めても長続きしませんでした。 妻は出てくれたものの己は仕事をなまけ、ブラついているうちに高額報酬を得られる港湾荷役という仕事を見つけ、潜り込んだのです。
門前街が春を呼び覚ます
夫婦そろって派手好みでしたから、淡路についてすぐ見つけ出した棲み家が街路の両脇にずらりと色町が立ち並ぶ門前の一軒家でした。 勝手知ったる春をひさぐなんとやらが玄関先に軒を連ね ある。 好子が人足方々飲み屋に出入りするようになるまでに、それほど時間を要しませんでした。 亭主はというと、早朝から港湾の荷役で酷使されたものだあから帰って汗を流すと酒に飛びつく、妻が人足仕事を終えて帰る頃にはすっかり出来上がっています。 夜の街に出かけるに、何の不都合もない(子供は放置)わけで、むしろ言い逃れできるわけで、彼女にとってそこは妻であり母であるという立場を忘れ、ある種懐かしい春の街に彷徨い出続けたのです。
乞われるがまま妾に
この年代になると必ずしも代々名家だったから蓄財があるかというと、そうでもない家が、開拓民に何もかも取り上げられた家がありました。 小作として入植させたものの、何やかやと言っては酒手程度の金で土地を奪っていく輩が横行していたのです。 好子の旦那もそのクチで、花街など金輪際見たことも味わったことも無いから溺れ始めたんです。 好子にも最初こそ珍しがって手を出し、半ば囲ってみたものの蓄財は減るわ、人様の女房に対し興味は薄れるわで、月々の手当ても減る一方。 下手に催促でもすれば捨てられそうな雰囲気が漂っていました。 それならせめて旦那には借家の家賃だけでも面倒見させ、持て余す身体のほうは当時盛況だった港の人足相手に欲得づくで春をひさごうと思いついた好子でした。 港の近くならそれなりに春をひさぐ部屋を貸し出してくれる安宿もないことはない。 この目論見は見事に当たりました。
業界の顔役に
その荷揚げも業界が取り仕切っていましたから揚がりのいくばくかを差し出せばということで宿も一も二もなく合意してくれました。 好子は自覚がないまま業界の下っ端となってしまったのです。 都合の良いこともありました。 毎日ぶらぶらしている役立たずの夫に荷揚げの仕事を世話(荷役は船・荷主との個別・時間契約)してくれたんです。 高額報酬に釣られ集まった荒くれどもは収入が良いから食うものもよい。 力自慢の寄せ集め、従って体力もあります。 荷揚げで体力を使い果たした本人たちはぬかしますが、溜まったものを吐き出せるとなれば信じられないほどの馬力を出し襲い掛かってきます。 こういった手合いが好きだからこそ受け入れもすんなり整い続けました。 好子の副業は順調で、身体の空く暇もないほどだったようで周囲が色めくほど色艶が増していきます。 が、夫は毎度毎度背負わされる荷物に一日も持たなかったといいます。 飯場(はんば)作業員をしていたとはいえ発破業務で重いものなど担いだことがありません。 ものの1~2回船からの往復で音を上げ勝手に荷揚げ場から逃げ出してしまっていました。 例えばこの日の荷物がセメントだとしましょう、先役(船で荷物を渡す役)はいきなり幸吉の肩に重いセメント袋を落とし寄こします。 荷揚げは時間の勝負、次の男が控えているからです。 落とされた瞬間背が10センチは縮んだかと思われるほどのショックがありますが、この態勢で揺れる桟橋を渡らなければなりません。 肩から滑り落ちそうになるセメント袋を、ひ弱な握力で支え板子一枚下は地獄も海で知られる板を渡しただけの揺れる桟橋をまるでサーカスの猿のごとく渡らなければなりません。 下手すれば荷を担いだまま海にドボン! 海に浸かった幸吉を心配するんじゃなく、海に消えた荷物の心配が船主にはありました。 そんなヘマをすればただじゃ済まなくなる。 荷主も船主もそれも怖かった。 船主は鬼になり、荷主は蛇になってこのひ弱な夫を叱咤しましたが、幸吉はその都度口をきいてくれた業界の名を出し、回数逃れをしていたわけです。
男が繰り出す全力に酔いしれ
それに比べ好子は水を得た魚といっていいほどに生き生きと働いていました。 かつてそうであったようにそのやり方は戦中の慰安婦に近い方式で、一人が終われば控えていた次の男が部屋に入ってのしかかってくるというたらい回し。 それも仲間内に亭主がいる身で春をひさぐ、いわば不貞ゆえの興奮も手伝ってか押すな押すなの大繁盛。 興味を抱く人足の日当や圧倒的に不自由な性活を強いられている数からすれば至極当然のやり方でしょうが、これが面白いほど儲かったといいます。 悪いことをしているという意識を押さえ、メリ込ませてくれている間だけ忘れさせてくれたといいます。
アルコール依存を何故か後押し
一方の幸吉は業界の下っ端にまで捕まりこっぴどく痛めつけられますます捻くれていきました。 好子が業界を使って淡路に移り住んだ頃、大層持ち上げ兄貴兄貴と慕ってくれていた下っ端どもにです。 これが幸吉を一層卑屈にしました。 家にいる好子にその気になって迫ってみても体よく断られることも度々で、男としての威厳をひどく傷つけられたような気になって、酒を浴びるほど呑む、飲むと気が大きくなり「お前らごときがぁ~!」ちょっとしたことでちゃぶ台返しが日常的に行われるようになりました。 「こんなことも解らん馬鹿なやつどもが!」思い通りにならないことへの憤怒が家族に向かってだけ堰を切ったように流れ出すようになりました。 好子はそうなったとき決まって何食わぬ顔で肴を用意し酒をたんと買い与え遊ぶ金も十分に手渡し、したたかに飲ませ「大山名人の弟子」を口にし賭け将棋に送り出し、自らも夕食をさっさと済ますと片付けは久美に任せ夜の街に遊びに出掛けて行ったんです。
棲み家と食い物にだけは困らなかった淡路生活
日雇い2分飲食8分 所詮日雇いなどというものはその日出ればなんぼのもの。 出ても出なくても自由気ままなとこがあり、それが好子には都合よかったようで、昼間でも客が付けば日雇いを休みにし、そちらに顔を出す生活が板につき始めました。 だから食い物などは店の余り物で十分間に合わせることができました。 お客の食い残しを適当な皿に盛り直し、ちゃぶ台の上に置いておけば妻として母としての用は足りてると思い始めたんです。 おまけに棲み家は妾のお代がわでロハ。 こうして久美たち姉弟が学校に行って留守になった午後になって好子は遊びから帰り着くと、ほんの少し主婦の真似事を子供たちのためではなく嫉妬に狂う幸吉のために酒肴の用意をし、なんとか夫婦生活を繋ぎ止め、またぞろ若さを呼び起こしてくれる夜の街に繰り出していったのです。
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