知佳の美貌録「墓参りの楽しみ」

防空壕のできそこないみたいな穴倉は立って歩くこともできないほど低かったし、奥行きも入り口から一番奥が見渡せるほど短かった。 そんな穴倉に周辺からかき集めた草などを布団がわりに敷きつめ寝泊まりした。 中で火を焚いたりすればむせて息もできなくなるほど狭く、もちろん抜け穴もないから煙突の役目も穴自体が果たしてくれない。 誰も通らなくなった深夜などを利用して外で煮炊きせざるを得なかった。 風呂はおろか水道もトイレも、もちろんない。 必要になると雨だろうがどこかに出かけ用を済ますしかなかった。 周囲から見れば野良犬かと思えただだろうが、ここにこそ幸吉は来ない。 久美たち母子にとってつかの間の安息日が訪れた。 母子3人が墓地脇の穴倉から出ることができたのは女衒がこれまた手をまわし久美たちを見つけてくれたからで、その後しばらくの間女衒の家に母子は再び居候することになる。 だが、久美たちが大阪で貧困に耐え生活している間に、あのご隠居さんは亡くなっていて狭い部屋で女衒独り寂しく暮らし、家賃などただ同然の安普請の借家であるが、なにしろ寂しがった。 横になるのさえ場所を譲り合わなければならないほどの狭さにも関わらず、女衒は愚痴ひとつこぼさなかった。 女衒は好子に、こうなった経緯を語りたがらなかった。 恐らく痴呆も混じり始めていたんだろうが、それ以上に可愛い子供たちと残されたひと時を過ごしたかったのだろう。 この先困ろうに ありったけの生活物品を差し出してくれた。 だから好子は、暇さえあれば何か残ってないか記憶にある実家跡を探さざるを得なくなる。 たった数年街を離れただけなのに好子たちが無賃乗車しながらもたどり着いた故郷の家は、どんなに探しても見つからず、好子曰く影も形もなくなっていて、終いに道を迷うほどだったという。 穴倉にいる間探し続けた女衒の行方も、俄か探しでは見つからなかったゆえ、子供のための住所変更もままならず、長い間洞窟で暮らすしかなかったと後になって久美に話したほどだ。 もちろん夫の幸吉に見つからないよう、普通の人間ならまず棲まない穴倉を選んだわけだが・・・ ご隠居が亡くなる直前、女衒は好子が獄中に繋がれたのを婿の身勝手なひと言で知った。 可愛い孫たちをせめても楽しませてやろうと、一度手放した(騙し取られそうになっていた)家屋をチョイの間借りて、いかにもこれが母の実家であるかのようにみせかけたほどである。(一緒に棲まっていたように見せかけてくれた彼らが、母子が身を寄せる穴倉を探しあててくれた) 連れ合い(ご隠居)に泣いて頼まれ、女衒はなけなしの金を用意して好子を出所させた。 その時、最後まで残っていたあの家屋敷を今度こそ二束三文で抵当に入れて金を工面し好子を受けだしていたのだ。 (一般人の借金のかたに取れれそうになっていた家を、業界に声をかけ買い取らせる代わりに足りない額を踏み倒させた) 受けだすといっても昔のこと、つて(裏業界も含め、その系統の弁護士を雇うこと)を頼って金を渡し頼み込むしかない。 彼らのシノギに情け容赦はない、それ故に莫大な金が湯水のごとく消えうせた。 好子が出所した時にはあれほど気丈だったご隠居は既に亡くなっていて、女衒も小さな借家に移り住んでいた。 もはや昔のような勢いは消え好々爺になっていて、季節季節の連れ合いの墓参りに、よく久美たち姉弟を連れて行ってくれた。 以前にも書いたように元々の女衒家の墓は武士階級によって祀られたお寺の墓所にあった。 それが何故かご隠居を弔う頃と思われるが、一般庶民のお寺に改宗(お寺を変わる 詳しい宗派については聞けませんでした)し廃慕・墓じまいしてしまっていた。
藪蚊に食われるのがイヤで
久美は母とは違い別段墓になど行きたいとは思わなかった。 文字など学校で嫌というほど教え込まれる、興味ないどころか墓の陰湿さが嫌いだった。 何より周囲の誰も蚊に食われたなどと騒ぎ立てないのに、久美の周囲だけブンブンと羽音をさせ舞い飛び追っ払っても追っ払っても寄って来て血を吸われ、その部分が大きく腫れ上がり、いつまでも痒い。 それが堪らなく嫌だった。 それでも墓参りに連れて行ってもらったのはご隠居さんに手を合わせたいのと、帰り道に必ず駄菓子屋に寄って、あのケチな女衒が好きなお菓子をひとつだけ買ってくれる。 そのことが何よりも楽しみだったからだ。 たった10円程度で買える菓子から選ぶのだが、久美はうんと時間をかけて選んだ。 選び出すことが、またその菓子を味わうことが楽しくて仕方がなかった。
ご隠居仕込みの針仕事
好子は女衒の家に居候している間に仕立物の仕事と子守の仕事を探してき、その金でしばらく食いつないでいたが幸吉が舞い戻り住まいを探し当てられてしまい、これ以上迷惑はかけられないと狭い女衒の家を出て別の借家に移ることにした。 たかだか内職程度で貯めたお金で借りる家である。 皮肉なことにその好子が探してきた借家とは、あの穴倉のあった場所(元々隣国籍等々の人が住む街)と目と鼻の先に建っていた、これまた屋根瓦の剥がれ落ちそうな、しかも天井の低い安普請の二階建ての長屋だった。 好子にしてみれば親の最後を見届けたかったのだろう。 借家と女衒の家は割と近かったと後に聞いたが、久美にとっては幼い頃この街を離れただけに市内のことに疎かく説明されてもわからなかった。 とうとう女衒が息を引き取るまでその家に行く道を教えてもらえなく(実は好子は幾度となく久美を連れ女衒宅に向かおうとしたが頑なに拒絶され、お使いを頼めば断られ覚えてもらえなかった)成長してのちもひとりで行くことができなかった。(久美の記憶の中では同じ町内だけ理解できていた) だが、時が流れた今になってその場所(女衒が最後に住んでいた家)が何処だったのか好子ですら記憶にないといった。 それもそのはずで、その場所とは大阪で苦労させられたあの、貧民窟そのものだったのだ。 しかもそこに息の絶えかけた老人が棲まっている。 二度とあの場所に帰るものかと心に決め、訪うことを拒否し続けた久美の気持ちもわかろうというもの。 ふたりが知恵を出し合い探し求めるも解らなかったその貧民窟(日本国籍の穢多などが住む)は高度成長期に入るとある種忌み嫌われ、市の土地を不法占拠し建てられていたからだろう、街ぐるみ更地にされ切り売りされていて今はもう昔の面影なぞ、どこを探しても見当たらないようになってしまっていた。 卑しき女衒ゆえ記憶からも記録からも消し去られたのである。
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