知佳の美貌録「甲冑の部屋に寝かされて」

ご先祖様は苦労して書画骨董の類を集めただろうが子々孫々の時代になるとそれらの希少価値が分からないものが現れた。 売ってみるとなるほど高く売れた。 そうして得たお金を苦労知らずが使うものだから自然呑む打つ買うとなる。 質素倹約に勤めなければならない時代に遊興に耽った。 ものの価値もわからないのに二束三文で身内の誰かが売っぱらってしまう。
ひょっとするとその文化遺産の守番として久美たちはこの部屋に通されたような気がしたのだ。
この物語の中で女衒女衒と、まるで個人が活躍してるような言い方をしてきたが、久美の伯父さんの背中に紋々が彫ってあり、周囲も恐れおののいていたということでもお分かりのように、女衒と言いつつも彼らこそこの地を制した〇〇一家ではなかったかと思えるのである。
よその県からモノを送る時、〇〇県、〇〇 ▽▽様と郡や町名・番地の類を書かなくても届いたと言われるほど女衒は有名だったらしい。
それ故親分が没落するとこれと対峙していた組織からの仕返しを恐れ、子分衆も散り散りにならざるを得なかったのだと思われる。
そう、大好きだった伯父さんはというと、聞くところによるとあの後名古屋に落ち延び完全に足を洗って晩年は妻ともどもひっそりと暮らし、組織は勿論親戚縁者とも縁を切っていたものだから無縁仏として葬られています。
身寄りがなく(久美こそ身内として名乗りたかったといいますが…)墓さえ与えてもらえないような孤独の中で生活保護に頼りつつ亡くなってます。
母の里である女衒宅は完全に没落し、親族や仲間たちは四散せざるをえなかったようなのです。
(前後のことは母で詳しくは知らなかったらしい)
このようにして借家に移るとなると夏休みなど、学校に行けないものだから一家は食うに事欠いた。
ある意味女衒の顔でもらえた母の仕立て仕事もさほどもらえないようになると、この時代どこの家庭もそうであったように久美たち子供は父方の実家に食を減らすため預けられた。
だが実のところ父方の家も余分な食べ物などなかったのである。
父方の実家は、かつての女衒の家屋敷ほどではないにしても
(没落直前でも200坪は優にあったというが・・・)
地元では相当の有力者で、建物も見た目だけは広く大きかった。
そう、傍から見る限り大きく立派そうに見せかけた家だった。
久美曰く、変わっていたところと言えば家の造りで、通常玄関にあたるところは店先 (自転車屋) となり、奥が母屋 そして脇になぜか全く異種(母屋は和風で別棟は洋風)の借家のような、とんと妙な家がそれぞれ独立したような形で建っていて、これまた妙な廊下・階段で繋がっていた。
もっと妙なのは、広い庭の奥まったところに母屋とは長い廊下で繋がっている茶室めいた奥座敷があった。
しかもその茶室?の広さたるや躙り口どころか、普通の民家ほどもあったのだ。
母屋のほうは純和風の薄暗いジメジメしただだっ広い畳の部屋が続くが、逆に離れのほうは洋風の造りになっていて絨毯まで敷き詰めてある。
洋風の家は華やかで近代的だったが和風は旧態依然とした佇まいで、なぜか久美たちは必ず和風の、しかも二階に寝かされた。
トイレは階下に、それもあの女衒宅の縁側の端にあったようなポットンしかない。
しかも女衒の家のそれと違い薄暗い。
それを久美のような子供にあてがうのである。
付け加えておくが、洋風の建屋には空き部屋が旅館造りのように沢山しつらえてあってトイレも数か所あったから不思議だ。
問題はその寝泊まりする二階で、大広間の床の間にあたる場所一帯に鎧兜や刀が所狭しと陳列してあった。
昼間でもこれを見れば子供なら恐がるが、夜間は特に恐ろしく明かりを消されると鎧甲冑が独りでに歩き出しそうでとても寝るどころではなく、トイレに行きたくても恐ろしくて布団から出れず、面倒くさがる母を無理に起こしついていってもらった記憶がある。
この家に行くとなぜか久美はお祖父さん (父の親) に叱られた。
「こらぁ~! 久美ぃ~! なんで……」
子供が泣いたといっては叱られ、なにか悪さをしたといっては久美だけが叱られた。
悪さをしたり泣いたりするのは決まって自分の孫なのに久美が叱られた。
大事な客のはずなのに、久美だけが子守をさせられた。
言わいでもいいのに、あの トンネル工事の飯場(はんば)で見事に子守をし通し感謝されたと、好子は会う人ごとに余計な自慢したからで、久美は昼間は常に子供を負ぶう (おぶう) 役割をさせられた。
これが重くてやっと歩いてるというのに、勝手気ままに悪さを繰り返す子供たちの見張り番をもさせられ、家事手伝いまでさせられた。
そこまで頑張って、それでも衣食住は末の間 (家族は台所で食べるが久美たちはそれよりさらに下がった板の間で食べさせられた) と別個でしかも家族と比べ一段と貧疎という、言われぬ差別を受けた。
後々語ってくれたのはこの町議、よほど女衒の威圧が怖かったらしく常日頃射竦んでいたことがこれで窺えた。 意趣返しである。
ある冬休みにこの家に泊まりに行った折など何事につけ叱られることに腹を立て子供たち全員炬燵に集め、頭を炬燵の中に突っ込ませ昔話をしてやったという。
ただし、最初こそ面白おかしく話しを進め笑わせていき、途中から雲行きが怪しくなるように組み立て、最後はおどろおどろしい話しに持ち込み、例えば落ち武者の亡霊が出た瞬間嬌声を上げ「お化けが出た!!」と叫んでやった。
一瞬にして全員が凍り付き泣き叫び、恐ろしがって炬燵から頭を出すことができず、以降は久美の言うことなら何でも素直に聞いたという。
このようにして久美はこの家の主の いや全員の意地悪に耐えなんとか雨露しのがせてもらっていたが、この間あの呑んだくれの父親は久美の苦労にもお祖父さん (実の父) の苦悩にも一顧だにしなかった。 顔も出さなかったという。
そのようなことから久美は中学に上がると、どんなに家が困窮し食べるものがなくても父方には絶対に寄り付かなかったとも語ってくれた。
祖父は亡くなる直前、突然久美を枕元に呼んで何かを手渡し「すまんかった・・・」苦労を掛けたと詫びたそうで、手渡されたものが祖父の妻からの形見分けだったようだが、その大事な品も母好子の借金返済に充ててほしいと惜しげもなく差しだしている。
宝石は本物で随分お金を出してくれたと母に感謝されているが、それでも墓参にすら久美はこれ以降訪れていない。
後々の語りにこんな一説がある。
女衒は金貸しもしており時代劇などでは角火鉢に鉄瓶をかけその前で胡坐をかき、後ろには頑丈な金庫が据えてあり手代が脇でそろばんを弾く… に憧れを抱いていたようだ。 ところが角火鉢も金庫も実は父方の親がそうであって女衒は貧疎な丸火鉢の前で煙草をふかし、背には薄汚い小さな鍵のかかる茶箪笥しかなかったのである。
女を売り買いし、遊ぶ位金はあってもこういったものに金をかける思慮分別・趣味は学が無いだけになかったようなのだ。
父方、つまり村議員は絵画骨董にその全てを注ぎ込み文化人を気取り、女衒は逆に金に翻弄される以外は無趣味人だったということ。 正反対の人種だったようなのだ。
以前にも述べた久美の大好きだった広い縁側と太い梁にぶらんこがかかった威風堂々の家と比べ、議員の家はどちらかというと京風。 華奢で柱など風が吹けば吹き飛ぶような心細さだったが美的には優れていた。
先にも書いたように鎧・兜の類から書画骨董に至るまで議員宅は数々の文化遺産に囲まれ暮らしていた。 ところが死期も近くなると遺産相続が沸き起こり、いきり立った兄弟のうちの誰かが適当な骨董屋を自宅に入れ、議員の目の前で洗いざらい叩き売ってしまった。
いわゆる恨みつらみの意趣返しに加担した骨董屋による没落家の買い叩きである。
のちに取引のあった骨董屋がこれを知り慌てて駆け付けてみたがめぼしいものは二束三文で叩き売られ、もう何も残っていない状況だったらしい。
双方とも己が出世に目がくらみ子育ての何たるかをまるで知らなかったのだ。
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