知佳の美貌録「就職専門の女子高然とした学校を敢えて受験」
久美の場合、生き抜こうとする力が学業を支え、優秀な成績を収めさせてくれた。 小学校でも担任にあらぬ期待を抱かせるほどに学業は優秀だった。 周囲に先んじて何かを見つけ出し、それを食べていくことに利用でもしなければ弟を守れなかったからだ。 その情熱が実を結び、大阪に比べ田舎で学業は劣るとはいえ中学の成績は学年で常にベスト5入りしていた。 その久美が、何故か卒業が近づくと就職組のひとりとして就職先の説明話を聞きに教室に居残る。
密かに面談をうける就職組
就職組の多くは学業の悪さゆえ勤めざるを得ない者がおおかった。 だが中には貧困ゆえ学費が支払えず、学業優秀でも食い扶持を減らすため就職組に加わるものもいた。 昼間勤めながら定時制高校などに通う子がそれだ。 密かな説明とは、学業の悪さは普段、授業中などの受け応えやテストの成績などを見ていれば同級生ならほぼ気づく。 だが、家庭の事情となると話は別だ。 生活保護を受けつつ学校に通うものなどへの偏見はまま見られたからだ。 だから放課後、彼らだけこっそり教室に集められそれなりの話を聞かされる。 その中に久美が混じろうとする。 担任は進学組として引き留めるのに労することになる。
保護者への手紙
学年でベスト5に入るほどの学生が就職など聞いたことも無いと担任はもとより学年主任も躍起になって引き留めようとした。 なんとなれば、貧困家庭への奨学金制度は充実しつつあったからだ。 反面、父親が地区でも有名な吞んだくれでしょちゅう官憲のご厄介になっていることも知っていた。 久美の意志が固いことを知ると担任は親に向かって手紙をしたためた。 学校の名誉にかけても今回だけは進学校に進級していただきたいという内容のものだった。 ところが母の好子は久美の意見を尊重し、面談を頑なに拒否した。 尋常小学校もまともに出ていない己が学業について教師とまともに渡り合えるわけがない、きっと混乱をきたし わけもわからぬ屁理屈を言い出すんじゃないかと、やらぬ前から自分で自分を卑下してのことだ。 だから久美は自分なりの将来を決めていたのだ。
孤独との闘い
久美は小学校の卒業を目前にして大阪から姿をくらましている。 次に姿を現したのは曽祖父のもと。 はなっから普通の学生ではなかった。 第一 同級はもちろんのこと、学校内にも町内にも顔見知りなどいない。 さすがに中学になるといじめはなかったが、そのかわりシカトは普通にされた。 どんなに学業が優秀だろうが、クラス委員にもなれなければグループ活動にも誘ってもらえない。 孤独の中、ただひたすら生真面目に学校にだけは通った。
悪の烙印を捺され
中学生活で唯一楽しかったことがある。 それは校区が比較的広かったため自転車通学しているものがいたこと。 久美も幼かったころ、友達が自慢げに補助輪付きの乗ってみせ、が、貧乏故買ってほしいと言い出せなくて・・・でも自分の自転車に乗りたくて仕方なかった。 母はと言えば幼い頃住み暮らしたこの街にすっかりなじみ、声をかけてくれる男たちもボチボチ現れ始めていて浮かれてた。 学業に疎い母だったが根はおてんば、自分だってあの時代、貴重な自転車に乗っていたときく。 そこでねだって男どもの伝手でオンボロ自転車を手に入れてもらった。 就職するには通勤手段が必要と言い訳して。 休みになるとこの、ペダルをこげばギ~ギ~いう中古自転車を乗り回し、市内を駆け巡った。 景色がビュンビュン後ろに飛んでいくのが面白くてたまらなくなった。 当時、近距離通学のものは自転車で来るのを禁じられていた。 その規則を破って久美はこのオンボロ自転車に乗って通学を始めてしまった。 通学を始めてしまったというより通学路を夢中になって乗り回してるうちに学校に乗り入れてしまったというのがふさわしい。 遊びで校区内を乗り回していただけなのに、さも当然かのごとく停学処分になったが平然とし、相変わらず自転車に乗って、今度は堂々と学校に通った。 案の定と言おうか、近距離通学の幾人かが一部だけ自転車通学を許すのは不公平だと騒ぎ始めた。 一部だけというのは、例えばお妾さんの子で校区内に旦那から与えられた家があるにもかかわらず、間男が母のもとに通ってくるのを嫌い、母の実家である郡部に勝手に居座り自転車通学をしているものがいたからだ。 距離は確かに片道10キロ以上離れている。 雨の日や雪の日など並々ならぬ苦労には違いないが、中学でそれを理解しろというのがそもそも無理だった。 差別ではないかと詰め寄られ、この近距離云々の決まりはなし崩しになってしまった。 お妾の子供ではなく久美が英雄になってしまったのである。
誰にも相談できず
就職に最も適した学校ということで担任はしぶしぶ商業科ならと言い出した。 公立のみならず私立にも商業科はあったので、まさかに備え滑り止めとして受けておくように奨められたが元より、酒代に困るような親が私立の受験料の工面ができるわけもなく、久美は独断で受験先を公立だけに絞った。 市内にある公立の商業科は、どちらかというと女子高に似ていた。 生徒はほぼ女性で占めていた。 男尊女卑のこの時代、卒業後は就職組が圧倒的に多かったからである。 3学期に入ると受験勉強中心となる。 久美は孤独を紛らすため受験勉強はせず、ひたすら自転車に乗って市内を駆け巡った。
合格発表の日、進学校の正門を通って自宅に帰る
受験日、試験用紙を受験生の中で最後に提出した久美。 答えはもちろんだが、自分の想いを受験用紙の裏側を使ってびっしり書き込み提出した。 合格発表など見に行くまでもなかった。 合格発表の日、いかにもという風に家を出て、遠回りをして進学校へ向かい裏門をくぐった。 自宅が隣と思えるぐらい近かったから幾度となく校内を歩いたことがある。 この学校に憧れ、中学では懸命にトップ5から落ちないよう頑張ってきた。 内申書だけである程度通れるようにしたかったからである。 その焦がれた学校の正門を、今度は堂々と胸張って出て家路に向かった。 近隣の人や受験生の父兄に久美はこの学校を受験し、受かったんだと思わせたかった。
因みに
久美が愛おしんだ弟は久美が焦がれた進学校に進学し、早稲田に入り、その一粒種は塾に通うことなく東大法学部に一発合格している。
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