知佳の美貌録「臨月」

彼は両親ともに教師という家柄に生まれ、ふたり兄弟のうちの兄 跡取り息子で久美より歳がひとつ下の妹がいた。 大学を卒業し優良企業に勤めていたが、どうしても教師になりたくて辞めて帰って来ていた。 後年思えば意志薄弱で母親べったりなところがあり、気の強い久美にしてみれば操りやすいから付き合い始めたのかもしれない。 ともあれ自動車会社に勤めていた時、終業時間になると男たちは毎度毎度会社の正面に車列を成すように車を乗り付け久美が、いやオンナたちが下りてくるのを待っていてくれていた。 終業時間を今か今かとタイム・レコーダーの前で待つオンナたち。 時間になると一斉にお局様から順 ここが肝心 に打ち、恋人が玄関前に乗り付けてきている車に、これまた順番どおりに飛び乗りデートに出掛ける。 それがいつものパターンだった。 一番後ろで待っていてくれた彼の車に乗って久美も負けじとデートに出掛ける。 付き合ってしばらく、彼は両親と妹に久美を恋人であり婚約者として引き合わせてくれた。 会わなきゃよかった、彼と出逢わなきゃよかったとこの時になって後悔した。 初めて出会ったというのに視線が冷たいのである。 彼の母親は厳格な性格で生活保護家庭で育った久美を白い眼で見た。 休みの日など、彼とデートしたく電話をかけるとその母が出てやんわりと居留守をつかわれる。 たまたま何かのはずみで彼の声が電話口に聞こえたりすると、とってつけたように「今帰ってきたようだから代わりますね」という。 そんな母の言いつけを守るように久美よりひとつ下の妹も久美には何かと辛く当たった。 「お兄ちゃんを誘惑・・・」と面と向かって言い放つ。 「うちの子は教師になるため勉強してるんです。 あなたのウチでは許すんでしょうが、そんなにいつもいつも遊びに連れ出されては・・・」二言目には釣り合わない風に言われた。
母に逆らえない息子
彼の家の敷地は周囲のどこよりも広かった。 彼の母と妹が久美に何かと辛く当たるのを、身分が低いゆえ結婚を反対してるのを知っていて彼は久美に「母が結婚を合意してくれないようなら、敷地内に別の家を建て、そこに住めばいいじゃないか」と提案するに至る。 彼は無職、家を建てようにも資金など無い。 しかも教員免許試験も受かってない。 生活費だって久美が稼ぐお金以外一銭だってない。 それなのに夢みたいなことばかり口にし、働こうとしないだけじゃなく母にも逆らわない。 合格できるかどうかわからない教師をあくまで目指そうとする。 久美が腹を立てたのはそれだけじゃない。 久美とデートしない日など、その母に付き合って買い物に出かけ仲良さそうに歩き周ったりもしている。 久美は待ち疲れ、キレた。 周囲は当然今付き合ってる彼と結婚するだろうとみてくれていた。 彼に「私はどんなに頑張っても所詮酒呑みがいる貧乏人の家」あなたやあなたのお母さん、妹さんにとって不釣り合いだからと三下り半を突きつけたのに結婚願望だけが残った。 当時定期的に同窓生が婚活のための合コンを開いてくれていた。 要は男漁りだったが・・・そこにたまたま居合わせたネジが1本切れたような男がいて、ひとりだけ浮いていたことから久美の方からモーションをかけ、相手が渋るのを強引に結婚に持ち込んだ。 それが生涯唯一の旦那だ。 後になって分かったことだがネジ切れ男はあの、高生でありながら年下くんと未成年同士にもかかわらず深い仲になり孕んでしまった、保険会社を立ち上げた男に妾同様に躰を捧げてしまうような彼女にぞっこんで、知恵が回らなかったこともあり横恋慕とはつゆ知らず、あくまでも彼女の尻を追いかけまわしていて、たまたま集められて男連中が同じ社内の人間ばかりだったため会場まで追っかけてきてしまい、要するに場の雰囲気も解らず乗り込んできてしまい、失恋で痛手を負ってる久美と出逢ってしまい久美の方から逆ナンしてしまったというわけだ。 同病(どうびょう)相(あい)憐(あわ)れむと言うが、久美と結婚し彼女は妻の大の友人と知っても追っかけるあたりネジ切れ男こそ尻の軽い、いかにも美人の彼女がお似合いだったわけであるが・・・
家庭のことは何ひとつ顧みようとしない夫。 ネジが切れたというのは結婚当初は水産、その後設備関係の仕事を得るが、命じられた仕事内容を把握できるのに時間がかかった。 時に半日近く何をしてよいやら理解できないでボンヤリしていることがままあったのである。
それをカバーすべく久美は臨月になっても普段と同じように働いた。
布団の上げ下ろしはもちろんのこと、掃除洗濯ご飯炊き。
パートも働ける間は働こうと出た。どんなに重い荷物も自転車にぶら下げて市内のどこへでも走った。
陣痛が始まった当日も、いつもと同じように家事をしていたが、刻々と痛みが増し、本に書かれていた内容と同じだと感じて自転車に用意していた荷物を積んで病院に向かったという。
その時の体重が普段のそれの、プラス5キロだったという。
病院に駆けつけるとすでに破水が始まっている言われ、30分後には無事出産、3000を超える赤ちゃんだったと。
羊水を含めれば妊娠して増えた体重はゼロということになる。医師にこのことを言うと「丁度良い勘定になる」と言われたと。
子供が生まれたことを病院側は夫へ知らせたと言われたが、待てど暮らせど夫は来ず、結局病院へ来たのは実家の嫁に伴われ、しぶしぶ翌日だったという。
来たからと言って何の感動も示さず、ほんのちょっと顔を出すとサッサと引き上げ、控室でたばこを吸っていたという。
面白いのは赤ちゃんの見舞いに連日訪れてくれていたのがネジ切れ旦那の同僚だった件だ。
毎日毎日花束を抱え、ケーキなどを持って見舞いに来てくれる男。
退院の日になり、迎えをお願いと久美が早朝に電話を入れていたこともあり、午後になり気乗りがしない風の男が受付に現れ「久美を迎えに」と言ったとき、病院関係者は「アラッ 今日は旦那さんお仕事で来れなかったんだね」と、つい口にしてしまった。
見舞いに来てくれていたのが旦那の同僚であることを久美から直接聞かされるにつけ、口アングリだったようだが、当のネジ切れ旦那は何事もなかったような顔していたという。
ところがである、子育ては何かと苦労が絶えないため時に友達にお願いすることがある。
その友達というのが保険屋の二号さん。
何故かというと、旦那がとにかく喜ぶからであった。 結婚当初も彼女とお茶を、だから送ってなどと言おうものなら急に期限が良くなったという。
久美は出産一週間後には病院側が引き留めるのも聞かず退院し、普段通りに働いた。
自宅に帰ってみると、出かけたままの状態で、つまり夫は久美がいない間は家に寄り付きもせず、べったりと実家にいたことになる。
ただし、子供のために蓄えてあったお金だけは持ち出されなくなっていた。用途を聞くとパチンコとたばこ代に小遣いと言った。
子供のための服やオシメ代まで出産直後に、久美は働いたお金でなんとか工面した。
久美が退院して帰った日から、夫は当然と言った風に家にいて食べ物や酒・たばこに小遣いを要求した。
子供が泣いて眠らないと、実家に逃げ帰って苦情を親にぶっつけたという。
だが夫は相も変わらず退職金があるからと正規の職は持たなかった。わずか2年務めただけなのに退職金が相当出たと、それを受け取ったはずだと言い張った。
このままでは借金が増えて立ち行かなくなる。
そう考えた久美は、仕方なく それまで夜、スーパーのレジ係りとパチンコ店の閉店清掃に出かけていたものを、頼まれたこともあったからか酒席の接客に変わっている。
最初に勤めたのは、母が女衒の使いで通わされた、あの歓楽街の旅館でのコンパニオンだったという。
母は女衒側だったが、その子は枕芸者側に立たされたということになる。
置屋の女将は久美がズブの素人だと知って、延長(宴会が引けてから添い寝目的の連れだし)はご法度とリーダーにかたく言いつけたというが、リーダーはこれを逆に逆恨みし、こともあろうにスジの席で組長に久美の延長を勧めたという。
「組長から声がかかりました。どうしたらいいでしょう」
久美は置屋の女将に電話で問い合わせた。
女将はリーダーの子の仕打ちに激怒した。「わたしから話すから断りなさい」
相手が相手なら断りようもない。久美は己の一存で断らなかった。これも運命と性根を据えてかかった。
幸い組長は久美を気に入ってくれ、延長に連れ出したものの脇から離さず配下に指一本出させなかったという。
そして引ける間際、もしこの地に遊びに来ることがあったときに、脇にいてくれないかと誘われたとも。
夫と子供がいるからと断ったというが、そののちも幾度かこの組長の席に招かれたという。
決して媚を売って延長を申し込むようなまねはせず、出来たら早く上がりたい旨だけ伝え余計な会話に加わらなかった。
「お前さえよければ家は用意する」とまでいわれたが、きっぱりと断った。
夫の目に結婚当初から久美の母方の家系を揶揄する思惑があったとこは確かだった。
そしてそれを、引き留めるどころか、逆に利用したことも確かだった。
夫の実家の、久美を蔑視する言動はこれによって日増しに激しさを増すことになる。
生まれ育ってこの方、人目を避けるようにひっそりと世間の片隅で暮らしてきた久美が、これによって人柄が変わったように裏の世界で男たちと会話を交わし、交際するようになっていったのは、ある意味持って生まれた運命だったのかもしれない。
このような流れで歓楽街の空気に染まった久美は、やがて旅館の事務として勤めることになる。
何事もお伺いを立てなければ動けなかった久美が、女将から「目と耳と口があれば・・・」といわれ自己判断で裏帳簿までつけるようになっていった。
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