知佳の美貌録「泊まりのお客様のお見送り」

ホテルと言っても部屋は確かに絨毯らしきものが敷き詰めてあるが布団を敷いての雑魚寝方式。
どこからどこまで土足で入ってよいやらわからないような造りで、隣とは薄壁一枚で仕切り、廊下との境界は襖である。
詰め込めるだけ詰め込むことができた。 学生にとって枕投げができるのが取柄と言えば取柄だった。
しかもトイレは各々の部屋についてなく、職員も使う共用トイレが男女別に分かれて入るものの各々ふたつあるだけだった。
冬場は極寒の地となるからボイラーを使って蒸気を送り出す。 だから風呂の湯も蛇口をひねればお湯が出た。 しかし夏場はボイラーを常時焚かないので、そもそもボイラーマン(町会議員を臨時で雇っていた)を雇わないので家庭用の給湯設備からふろの湯を引いて用いていた。 複数個所で同時にお湯を使おうとするとシャワーなど時々冷水が出たりもした。 お金を払う客としては笑えない話しである。
価格は高原であるという理由(市内からの物資の運搬料を加算)で高級ホテル並みにぼったくったが見た目も実質も高級な山小屋と言っても差し支えない。
だからおばちゃんたちの仕事は昔風の掃除、つまり箒や雑巾バケツ・モップをもって なにしろ施設が老朽化しているため、そう見えないよう錆とか埃などをひたすら落とす業務をさせられていた。
温泉があると期待してきた客がタイル張りのごく普通の、ひとり入るのがやっとという風呂に案内され驚いたという風に、このホテルは温泉風呂の為の施設でもフルコース料理の為の施設でもない、だからおばちゃんたちの仕事は原野を管理しているようなものだったのだ。
心理的にも粗野になりえる。 その点を汲み置いて読んでいただければ次に掲げる事項もお分かりいただけるものと思います。
薄暗くて汚い喫茶はレストランの脇にあるものの華やかなバーの類はないし、たとえ食事の給仕でも春を鬻いでくれるような女性もいない。
メインバンクも計画が持ち上がった時、最高のリゾート地に高級ホテルが建つものとばかり思っていたようだが、ふたを開けてみれば地元業者に設計施工を依頼したこともあって、まことに中途半端な施設を突貫工事で建ててしまっていて、施主でさえ番小屋を建てるつもりがホテルになっていて・・・という有様で、完成を期待して待ってくれていたのは施主だけだったのだ。
だから施主は開設当時からせっせと元を取ろうとし、設備投資のための蓄財、悪いところを直そうなどと一向にしなく、儲かったお金は夢にまで見たエロ温泉の雇仲(やとな 臨時で雇った仲居 春を鬻ぐ目的も併せ持つ女たちのことを言う)を買いまくり、儲からないと分るとメインバンクに相談もなく売ってしまったのだ。
最初にここにホテルを建てた施主は先祖代々の土地を遊興費捻出のため手放したと、親族会議が開かれ糾弾され、転売という手を使って這う這うの体で責任追及を逃れていたのである。
後を引き継いだ業者も似たり寄ったりで、当初の目的の通り景色を見に来て一泊するためだけのホテルとして買い上げており、なんと業者やメインバンクへの未払いは公園内に建てられていたことから町の財政で穴埋めさせようと企んでいたのだ。 事実そうなってしまったのだが・・・
おもてなしで出される料理と言えば
調理人がひとりしかいないためジンギスカン(子羊ではなく老齢の羊を安く仕入れていた)と決まっていた。
もちろん味付け用のタレはスーパーに並べて売ってあるものをそのまま提供した。
食器はいちいち洗ってくれるおばちゃんがいないのでお客様にはキャンプなどで使う発泡トレーと割り箸を出し、肉の盛り皿だけ安物の陶器を使っていたのだ。
分厚いモンゴル絨毯のフロアーの海側は全面開け閉てできるサッシでゴブラン織りのカーテンがぶら下がっている。
そんな部屋で、まるでキャンプ場で用いるようなバーベキューコンロを出し、煙をもうもうと立て肉を焼く。
排気ダクトなどというしゃれたものは一切ない。 おまけに天井高は4メートルに満たない。 煤けて大変だったと思うのだが、半年先にどうなってるかわからないだけに職員も経営者もなんとも思わなかったようだ。
唯一のとりえはこうして焼いた肉が食べ放題だったことぐらい
翌朝になって、お客様がご出立の時
本来ならお見送りをすべき従業員は
全員テレビ中継で流れている野球観戦に、お客様を放置し見入って知らん顔
あの古参のおばさんに声を掛けたら
「もう支払いは終わったんでしょう?」とのこと
お金さえ受け取れば
二度と来ることのない客に、なんで見送りなんか、
それが支配人を除く従業員全員の意見だった。
仕方なく、駐車場に出て見送る。 雨だろうが雪だろうが外に出て支配人と久美のふたりが見送った。
代表者の方に「女将さんですか?」と聞かれ
「いえ、パートの事務員です」と応える。
「こんなホテルにお越しいただいて、本当にありがとうございました。なんのおもてなしもできず、恐縮です」
「いえいえ、ジンギスカンの食べ放題。みんな喜んでいましたよ」
唯一の誉め言葉に、少しホッとした。
バスが出発すると支配人はさっさと自分のデスクに帰る。
久美だけバスが見えなくなるまでひとりで手を振って見送った。
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