疑惑 「地権や催事どころか夜這いさえ穢多は村八分だった」

夜が明けやらぬ頃起き出して、朝露が降りた畔の草を刈る。
それを持ち帰って、牛の餌とした。
田の畔の草を刈るにしても、それを無駄にしないその地域独特の百姓ならではの工夫があったが、入沢村の百姓は畔に田から掬い上げた泥を塗り、そこに大豆を植えた。
ほんの些細なことであっても、それらがすべて生きる術である食につながった。
草刈は、畦道だけかと思いきや時として田に面する山肌をも刈る。
日照時間が短い山間の村なればこそ、山すそに生えるクマザサなどを刈る刈り落としも、たとえ草が作る些細な影といえども油断ならず、斜面に沿って10間程度上まで刈り上げる家もあるほど石高を上げるため神経質にならざるを得なく、従って横面も加えれば相当広範囲にわたって刈らねばならない重労働。
石高を落とすまいと滑る斜面と戦いながら必死に鎌で刈る。
作佐の女房おカネが、この山肌を刈っているとき声を荒げて近づいてくるものがいた。
本家のおツネだった。
「ちょっとっ、そこはウチの土地だがね。見ちょらん思うて、こん盗っ人が!!」
「なにぉう!ようもようも言いがかりを。爺さんから聞かされちょった。鍬の柄丈は昔から刈り落としいうて田んぼ持っちょるウチに権利があるけんね」
怒鳴り声を聞き、甚六が駆けつけ、理由も聞かずおカネの袖をつかんで引き戻した。
「ウチにゃあん時の切り図が残っとる。あんたんとこの爺さんも了解したもんだだよ」
女房が間男を作ったことに腹を立て、離縁したまでは良かったが如何せん女に不自由し、されど溜まるものは遠慮寄尺なく溜まる…… で、借金してまで街の飲み屋の女将に入れあげた。
その借金のカタに、当時闇で高利貸しをやっていた足立家に田畑の殆んどどころか布団・畳に至るまで持っていかれた。
意外なことだが これまで黙って見過ごしてやったが甚六の田の畦道、つまり家への通路ですら足立家の持ち物だと、おツネはこの時はっきりと言い張った。
甚六はおツネに口答えをしなかった。
「ふん、穢多(えた)めが」
すごすごと家路に向かう甚六とおカネに、聞こえよがしにおツネが罵る。
幸いに、隣近所の連中が付近にいなかったから良かったものの「穢多」を隠して暮らしてきた以上、事が知れたら村にはおれない。
返す言葉がなかった。
穢多が住み着いていることを世間が知ったら、たちまち追い出される。
「くやしい……」
おカネは泣いた。
おカネの生まれ育った部落なら、そのようなことを聞きつければ村中総出で相手方を打ち壊しに出かけた。
「なぜ、こんな目に……」
いっそのこと、おカネの生まれ育った村に引っ越してはと何度も提言をした。
「いんや」
甚六は頑として首を縦に振らなかった。
おカネの村で暮らせば、それは生活が楽になるだろうが、肝心の「穢多」の身分から子供たちを解放してやることはできない。
非人ということをひた隠しに隠すことができる村なればこそ、行く末は明るいと考えていた。
甚六一家は、ある村から夜逃げして今の地に住まいをなしている穢多だった。
町なら宗門人別帳があって放ち手形と請け手形がなければ無宿人扱いで追放され、当然土地は手に入らない。
ところが寒村、事に水飲み以下の身分の者のみが棲み暮らす村になると、重労働に加え度重なる飢饉を苦に逃げ出すものも多く、放置された休耕田が手付かずとなって久しかった。
当然その土地は人も通わぬ山間の鍋底のような地であり日照時間が極端に少なく、取れ高も限られている田ではあるが、
庄屋とすれば、安い労働者が手に入るわけで、ありがたく受け取った。
元々村とは、現代で言うところの社会村ではなく惣村(そうそん)。
法律によってまとめられた村ではなく、てんでに寄り集まってできた集落である。
こういった村は誰もが恐れおののき、崇拝するであろう神社の力、祭りごとにかまけて取り決めが行われる。
寄り合いで物事を取り決めると、表面的には平等と言いながらも、その実権はあくまでも庄屋が握り下々の者、つまり小作に当たるものどもを差配していた。
庄屋は、奴隷制度までもうまく活用していたのである。
その穢多が、自己の地権を申し立てるということは、他にも苦しくて土地を手放し、作佐とおカネのような穢多に渡ってしまったということに他ならない。
それであっても立ち合いには必ず地区の権力者が立ち会うことが、半ば義務付けられている。
だから切り図には、その割り振りが書かれている。
現代ならさしずめ地籍調査によって書かれた土地台帳付属地図に示されているが、古くは隣同士で話し合って決めた切り図が元になっている。
切り図というのは現代の土地台帳に当たるが……。
役所で調べてみたところで、切り図と名の付くものに正確性はほぼない。
大半の境界線が右の土地の持ち主 其方と左の土地の持ち主 此方とがそれぞれに言い張るものだから、丸く収めるため二重に重なっており、たとえ草刈であったとしても、そのことを知らされていない女房・子供が刈るものだから常に争いごとが絶えなかった。
何度も言うようだが、この取り決めは地区の有力者によって定められたのもであり、勢力図が塗り替えられると、途端に境界も変わる。
「いまに罰が当たる」甚六が、つぶやくように言い放ったのも、己の身分がどうのこうのというのではなく、この勢力図の塗り替えのことである。
甚六の生家は、古くは没落した武士であった。
戦に敗れ、落ちて行った当初は畠山と名乗っていたものが、山奥に籠り、僅かな畑と足りない分は獣を狩って暮らし向きを立てる間に追ってから逃れたいがため姓は廃れ、明治新政府になって改めて三河と名乗った。
古くは獣の皮細工をして暮らしていたので、その由来の(皮)を(河)と変えただけであったが、知識のあるものなら穢多と察しが付く。
だが、本家の足立家が三河家を村の衆と認め、部落に加えたのには訳がある。
本家、足立家はもともと非人の出であった。
事の始まりは直接聞いたわけではないが、親族間での姦通でもしなければ子孫が望めないという境遇の中、沸き起こる性欲もあって、昼日中皆々が見ている前で……、とどのつまりは法に照らされ身分をはく奪されて非人となった。
放免となったのは、御上に大層な貢ぎ物を贈ったことによるものだが、今は確かに普通の人とはいえ、調べればわかることで元が非人、つまり穢多の下に格付けされる罪人なのだ。
昔のことを持ち出されでもしたら周辺部落に示しがつかなくなり、事は大事に至るに違いなかった。
夜逃げ同然に、それまでいた村を追われ、入沢村に入植してしばらく、
幼少だった甚六は、親が語らぬことを幸いに、手伝いに駆り出されない空き間は近所中の悪ガキ共と遊びまわった。
水遊びだろうが山遊びだろうが、おおよそ同年代の男の子と一緒になって遊んだ。
そこに身分の上下はほぼなく、あるのは年嵩だけであった。
上のやることに何でも従って遊んでもらった。
年長者が女の子に悪戯すれば、甚六も一緒になってこれに従った。
親が教えてくれるもの以外、知恵のほとんどは それら先輩諸氏の入れ知恵だった。
だから、大人の男のだれそれが、大人の女の誰某とこっそりつるんでいたなどということは、直ぐに耳に入る。
恐らく、年長者の その子の親が見聞きした噂話を子供が聴いていることもどこ吹く風、自慢タラタラ披露したことで、そう思い込んでしまったんだろう。
それをまた、女の子を相手に遊びの一環として年長者がやってみせる。
甚六の、大人になってからの性教育も、おおよそそこから来ていた。
だから、一番噂に上っていた本家の性癖には気を付けたつもりだった。
運が悪かったのは、甚六は潔癖すぎて他所から嫁いで来た妻に対し、これらの警戒の言葉を口に出せなかったことにある。
気の毒なことにおスヱは、本家の性癖を知らずして犯され、山に打ち捨てられ、それを恥じて死を選んでいた。
これが生粋の村育ちの女なら、その場限りの快楽だったと、簡単に忘れ去ったに違いない。
おスヱは身分違いの地区から嫁に来たのではない。
厳格に定められた「部落」から嫁いだ。
だが、その部落は戸数も入沢村とは違い、数倍あって、しかも街に向かっても開けていた。
それだけに周囲を取り巻く文化圏が入沢村とはまるで違った。
彼女の生まれ育った集落内は、向こう三軒両隣が何を考え何をしでかすかわからない人たちの集まりではなく、何事につけ穢多社会の集団として守り合う集落だったのだ。
産まれてこの方、ひとの妻に手を出しただのということは見たことも、聞いたこともなかった。
そんな大それたことをすれば、村中の気の荒い男衆に袋叩きにされ、場合によっては明日の日の目を見られないとも限らない。
それだけ穢多の集団行動とは恐ろしかった。
だが、入沢村は所詮寄り集まり、非人部落としての表向きの顔を持たなかった。
都合の悪いことは何事につけひたすら隠し通した。
噂としておスヱが嫁ぐ前に聞かされたのは、よその村と交流したがらない過疎地にあるということぐらいだった。
入沢村の忌み嫌う噂は、おスヱが生まれ育った集落には、その時代あまりに封建的過ぎて届かなかったのである。
先にも述べたが、近親相姦とは時として美麗極まりない子が生まれる。
不幸にして甚六がそうで、おスヱは甚六の男ぶりにまず惚れた。見た目は三国一の美男子だったのである。
そこに送り出した親ともども油断があった。
せめても、子供たちが日ごろ、どんな遊びをしているかさえ掴んでいたら悲劇は起こらなかっただろう。
村人たちの、このような忌み嫌う因襲の多くは祭りの日に限って…… 密かにではあるが発散される。
地蔵さんの祭りなんぞ、お堂に籠って巨大な数珠を集まったもの総出で回す大念珠繰りが行われる。
その数珠球ひとつを摘まみながら念じ、数珠が回転するたびごとに経を読み終え祈願が叶うという。
悲しいことに根が百姓、最初のうちこそ一心不乱に念じるが、「南無阿弥陀仏」のお経以外の部分を知らぬため、疲れが出始めると邪心が沸き起こる。
摘まみ廻す数珠球が、眼を閉じて廻すとなると妙な形のものに思えてくる。
触れ合う隣の人物の手が、如何にも女の手に思えてきたりもする。
お堂にはもちろん老若男女ではなく、男だけ入れる。
女はと言うと、参加は許されないが神仏こそ恐ろしいことから敷地の外で声を殺して祈る。
勤行が終わり、般若湯がたんと振る舞われて帰る段になると酒の力で気が大きくなった男衆は、周囲を取り巻いていた女子衆に御霊が乗り移った偽って手を出す。
待ちかねた女子衆は祝い事だとこれを受け入れてしまい、またひとつ因襲が募る。
豊作の後の秋祭りでは一層このようなことが盛んにこれが行われた。
男も女も、気が大きくなって後先考えないで欲の赴くままに絡むのである。
宗教がらみの因襲であったなればこそ、罪の意識も薄れ、終いには快楽だけを貪ったものであろう。
本家の足立庄衛門なぞ、この時だけは部落の総代として派手に酒席で人妻の手を引いた。
人妻も、豊作の年となれば、後々なにかしらお礼を受け取ることが出来るものと、喜んで身体を開いた。
食えなくなったからと、山を越え温泉宿に酌婦・飯盛りに出かけ、そこで見知らぬ男に操を売るより、多少気心が知れている間柄なればこそ余程ましだったからである。
近親相姦の恐ろしさは、こんこんと親から教えられていた筈であったがコトは快楽に通じており気持ち良さが恐ろしさを凌ぐときもままあるのである。
だからこそ、湯宿で見知らぬ男相手に孕んだとしても、黙っていればそこはそれで健康な子供が産める。気違いが生まれる心配がないと諭されても自分からお家のためにと出稼ぎに出る者はいなかった。
耳学では知ってはいたが、女たちにとって、淫売は屈辱でしかなかった。
普段から、幾度となく言い寄られ、機が熟し我慢が限界を迎えれば目顔で誘い合って野辺で絡み合う。本家のこの旧態然のやり方が性に合っていたからだ。
甚六も希望すれば本来ならこの村でだけは祭りに参加できる。
ところが、世のしきたりでは非人は普通人に戻れば参加できても、穢多は催事に参加できない決まりがあった。
それを知らない近所の者から、盛んに誘われはしたものの、甚六は知っているだけにやんわりとこれを断り続けていた。
つまり、おカネも夫の様子を見るにつけ立ち入ってはならない何かがあると、気づいていたふしがある。
だが、庄衛門が人様の女房であるおカネに秘かに心を寄せていたことを、また、祭りの夜のみならず、のべつなくこの村では気持ちが収まらなくなったもの同士野辺でまぐわいあうなどということを、あの日に至るまで知らなかった。
快楽事さえも村八分だったのである。
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