知佳の美貌録「山のようにたまった伝票」 黒字を赤字に塗り替えるための格闘

それは、温泉街の旅館の女将から使い込みの疑いを受け、突然解雇された直後だった。
「女将さん、貴女は根も葉もない犯罪をでっちあげ、久美さんを解雇に追い込んだ。久美さんの事務処理は完璧でした。本来あのような運営をなさっていては倒産するのが当然、それを何度も忠告したはずです。もとはと言えば、一緒に住んでおられる男の方が金庫からこっそりお金を抜き出し、遊興にふけったことも原因の一端にあります。とても面倒を見切れませんので、こちらも今日限り取引をやめさせていただきます」
呼び出された会計事務所で、女将を目の前にしてきっぱりと言い放ってくれた。
この𠮟責は女将の母である置き屋の女将からのお願いでもあった。
こうして旅館の女将を追い返しておいて・・
「元の旅館に戻られますか?」改めて問うた。
「いえ、あんな女の下で働くのは、もうごめんです」退職金はおろか、その月の給金も受け取れないまま旅館を去っている。サラ金を頼らないためにも当座の生活費が欲しかった。
「そうですか。丁度良かった。実は久美さんの腕を見込んでお願いしたいことがあります」
そう言うと、久美を別室に案内してくれた。
そこには、これから苦楽を共にする高原ホテルの支配人 八幡が待っていた。
「久美さん、次に行っていただく高原ホテルは、実は大変なことになっているんです」
嫌も応もない、いきなり次の職場に勤める党前提で話が始まった。
久美はこの仕事を受けるとも、断るとも言っていない。ただ仕事を嫌がり、しかもろくな稼ぎも無い亭主を持ち生活に行き詰まっていたことは事実だったが...子供のために断るつもりでいた。
それなのに、一方的にまくしたてられた。
「高原ホテルの会計を、ずっとこの事務所、つまり私がやってきた。ですが、お手上げ状態なんです」
「久美さんには、過去8年前に遡って決算処理をしていただき、来年3月末の決算報告書を作っていただきたいんです」
最初の3年間だけは、なんとか普通に事務処理ができる事務員が常駐していたそうだ。
ところが、あまりに杜撰な経営者に憤慨し、いきなり退職してしまったという。
その後、計4人の経理事務員をホテルは雇ったが、何もできないにもかかわらず給料目的で来ていたため、ホテル側からそれを指摘し辞めてもらった。
「つまりね、久美さん。最初の3年間の事務は、おそらくちゃんとできていると思う。それを元に以降の放置された伝票群の整理をお願いしたい」経理上は黒字となっているが債権者に払う金が何処にもない以上赤字に違いなく、それを証明して欲しいとのお願いだった。
現にホテルはボロボロの状態ながらも経営を続けていて、このままでは管理の一部を担う町に責任転嫁されかねないという。嫌も応もなかった。
その場から、いきなり高原ホテルに車に乗せられ向かった。
行楽では、確かに1~2度来たことがあるこの地区では唯一と思われる美麗な高原。
だが、存在自体知ってはいたが傾きかけた建物に入るのは初めてだった。
ホテルに到着すると、支配人の八幡はフロントマンやスタッフに
「今日から来ていただく事務の久美さんだ。フロントや厨房は特に、この方の言いつけを守り久美さんがお休みの際のお茶ひとつにおいても粗相のないように」
頭越しの命令だった。
にもかかわらず、それらの方々が満面の笑みで迎えてくれた。
それほどに高原ホテルは行き詰まっていたのである。
真っ先に通された、元会長室。
さぞご立派なデスクや椅子があると思いきや、廃墟のような室内でそこここにざっと見ただけで大きな段ボール箱が4個積み重ねられていて、それ以外の書類はろくに片付けもせず棚や床に散在していた。
それが全て、使途不明分を含めた未処理の伝票群だった。
ろくに読めもしない乱雑な字で書かれたメモ書きのレジのレシート、あて名書きすらない領収書の類で、遊興費に使ってしまったと思われる意味不明の領収書まで混じっていた。
「久美さん、これが去年から今年にかけての書類です。それより前の書類は階下の倉庫にあります」
案内されて降りた、まるで地下牢を思わせるジメジメした地下室の倉庫に、更に7箱あった。
その脇の棚に3年間勤めてくれた女性事務員が作ったという書類が収められていた。
「年度末までに黒字1億5千万の会計処理が、本当に正しいか確認し、銀行に報告しなければなりません」
「それじゃ、本当のところ、赤字ではないかと?」つまり経営側に配当金など出せない旨告げるための書類・証明書が必要だったのだ。
それを大至急確かめ、高原ホテルを救ってほしいとの依頼だった。
とりわけ使途不明金の中で日々の収支決算が合わない金額こそ問題なのである。
あの客の誰とでも寝る女将がいた旅館に勤め、内縁の夫とやらの現金持ち出しを見てしまったこと、更に生活苦からコンパニオンをやり、枕芸者とやらを散々見てきたことからその対処法も久美は心得ていたのである。
久美の不眠不休の格闘が始まった。
例の使途不明金の類は置き屋の女将に電話をかけ、該当日にそれなりの客の出入りが無かったか聞く。
女将は女将で久美に尻尾を掴まれてるものだから、臭わせぶりな回答を寄こす。
すると久美は、これと目を付けた旅館やホテルのやとな(雇女)を呼び出し問い詰める。
元はと言えばコンパニオン、裏の裏まで知っているから迂闊なことはしゃべれない、内密にと言いながらゲロしてしまう。
これらの情報を元に例の領収書のいらない客に領収書を旅館側が切ったことにして闇の領収書を日付を明記させ発行させた。枕芸者に渡したであろう花代の金額に合わせてである。
断れば久美はその足で税務署に走るであろうことは、過去の経緯からも想像できた。それも表面上許可を得ていない売春が日ごと夜ごと行われるなどと公の場に持ち出されでもしたら...呑むしかなかったのである。
それやこれやの書類を徹夜してまとめ、明け方近く支配人に自宅まで送ってもらって家事を済ませ、寝ずしてまたホテルに引き返すを繰り返した。
人間離れしたそれを延々と繰り返し、次の年の1月末、取り敢えず会計事務所から指示された事務処理は終わった。
黒字1億5千万から赤字3億5千万への転落だった。
「やっぱりそうか。だがこのままじゃまずい。せめて赤字を毎年5千万に抑え、順次3億5千万に持って行けまいか?」
上手く黒字を赤字に持っていってほしい、それが会計事務所の次なる要望だった。
表の世界も裏の世界も知り尽くしている久美だからこそ出来る芸当だった。
かつて旅館でつけた裏帳簿の技術を、再びここで使うことになった。
例えば、領収書を発行していなかった個人や団体に対し、金額を大幅に増やし偽領収書を発行したことにする。
例えば、ボロボロになった建物の償却費を、一番高い見積もりで計上するなどし黒字に見せかけた。
遊興費の使い道である発行場所の特定や、その目的の調査には久美独特の電話応対があったことはホテルとして大助かりだった。
こうして久美は、春までの約束が黒字が消え、全ての赤字を表面化することが出来るまでホテルにとどまることになった。
払ってもらえない納品をしぶしぶ納めさせるなど、久美無くては高原ホテルは成り立たないようになっていった。
その分、家庭は二の次となった。
家事育児をするどころか、子供の顔もろくに見ることが出来ない日々が続いた。
上の子(お姉ちゃん)は非行に走り、旦那の里から事あるごとに罵倒された。家事も育児もせず、自分の食い扶持程度しか稼げない旦那が里に行っては久美の秘めやかな世界についての悪口を言いふらすのである。
この苦悩は誰にも話すことが出来ず、いつしか同じ境遇で、地下にあるボイラー室に閉じ込められたボイラーマン・町議でもある篠原と秘かに共有することになる。
久美の、地下室通いが始まった。
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