道路を竹箒で掃く
時の流れは不思議なもので、勲さんのいない間に入谷村の勢力図、いや里も含めた勢力図は大いに変わりました。 あの隠居 (えんきょ) が突如として頭角を現したからです。
その一端を担ったのが青年団活動の延長上にあった情報戦でした。 隠居 (えんきょ) の進さんは時さんの差配で親戚縁者から多額の借金をしていました。 人身御供として進さん、そのうちに一軒の家に住み込んで労働力としてこき使われることになりました。 上手 (かんて) の公則さんがやっていたような土工です。 その進さんを助けるべく団員のひとりがある情報を流します。 大規模な埋め立て工事でした。
時さんに似てどちらかと言うと荒くれな性格の進さん、いとも簡単に大型免許の取得に成功します。 それに加えその土砂の搬出場所として注目を集めたのが親戚内の、あの入谷村の道普請に土砂を採取した紙屋 (かみや) の山だったのです。 許可を得るも何も勝手に運び出せばよいことでした。
まず土砂の採取の許可をということになり進さんに交渉を一任され、更に入谷道の使用許可も進さんに交渉の全てを任されました。 この事業に本格参入しようとすれば過去行ってきた事業の全てから手を引き、全力で完工を目指さなければなりません。 その責任をこの際だからと経営者は進さんに丸投げしたんです。
これによって進さんは囚われの身から一躍小さな土建会社の専務にのし上がりました。 こう聞くと良い事ばかりと思われる節もありましょうが現実は違いました。
せいぜい2トン車程度の車が木炭を積んで通るのが精一杯の道に6トンのダンプが土砂を満載しひっきりなしに通るんです。 運転の腕が良く頑張って通れたとしましょう。 しかし次にもしも万が一地元民の車が来たら何処に交わせばよいかが問題視されました。
これに関し、本当はいけないこととは知りながら進さん、ブルドーザーと発破を使って山を切り崩し道が拡張できそうなところを片っ端から広げていったんです。
しかも入谷村を豊かにするためと称し他に先駆けて全面舗装にしてしまいました。 入谷村の民は何のことやらわからない間にこれらすべてを完了させてしまったんです。
度胸が良いと言おうか向こう見ずと言おうか進さん、借金がいくら嵩もうがもうそんなことなどまるで考えないで事業を拡張していきました。 中古のダンプ1台しか持っていなかった事業所が一気に6台のダンプを購入したんです。 ダンプ持ち込み組も含めその約3倍に事業は膨らみました。
それからというもの隠居 (えんきょ) の敏江さんは大変でした。
なにせ土砂採取場にダンプの車輪を洗う場所が作れなかったので道路上に大量の土をこぼしダンプが下っていくんです。 何故なかったかと言うとそれは河川を汚さないためでした。 大量の土砂が河川に流出すると生物に影響を及ぼすからです。 敏江さんは来る日も来る日もその溜まった土砂を竹箒で道の脇に掃き出さなければなければなりませんでした。 総延長2Kmを入谷村の女性群を総括して頑張って掃きました。
給料は確かに里の土工に出るより高いかもしれません。 しかし単調な作業の上に酷い砂ぼこりで、しかも竹箒も里で手に入れようにも今度ばかりは里の商店が連携し売ってくれないんです。 自分で作る以外なかったんです。 最初こそ勢い込んで誰も彼も喜び勇んで仕事に従事していたものが次第に先進的な疲れが溜まりひとり辞めふたり辞めと減っていき、とうとう敏江さんひとりで掃かざるを得なくなっていったのです。
それほど頑張ってみたところで入谷道は舗装なのか地道なのか訳が分からないようになっていきました。 村人も流石にダンプの通行の制限をと申し込みましたが、なにせアロハシャツにグラサン、背中に紋々を背負った連中が情け容赦なくダンプで押しかけます。 恐ろしくて口もきけません。
唯一言えるとすればそれは隠居 (えんきょ) の敏江さんにでした。
その頃の敏江さんはもう下薬研 (しもやげん) の加納莞爾さん相手に小屋で締め込みをやらかしたような人じゃなくなりました。
毎朝仕事始めに必ずと言っていいほどダンプのアンチャンが押しかけ声掛けと言おうか気合いを入れていきますし、終業時になればなったで最終便のアンチャンがこれまたわざわざ立ち寄って礼を述べて帰ります。
しかも彼らの中の数人は休みの日であっても専務のお袋さんの元を訪れ飲み食いして帰ります。 それら全てを敏江さんは頑張って切り盛りしました。
貧困に突っ走って苦しみや怒りを虐待とか凌辱に結び付けることはあります。 しかし圧倒的に多いのが何事もうまくいき始め浮かれているときこそ女と酒は付き物、所かまわず締め込みをやらかす人は増えます。
酒にたばこに食べ物が充実し残るは女となった時のダンプの運ちゃんにとって敏江さんは重宝しました。 なにせ入谷村で常会が開かれた後の飲み会の席でさえ露出をやらかす程の奔放な女性です。 溜まってますのだの欲しくなっちゃいましただのと懇願し拒否られることなどまずなかったのです。 それも寒村にあって女郎屋の風情を味わえるんです。
以前の敏江さんならごくごく普通の農婦さんとして働いていてしかも肉食が多かったものですから熟し切った躰に脂が乗って豊満そのものでした。 ところが同じ肉食でも毎日延々箒で道路を休むことなく掃きまくっています。 軽作業に見えてこれは大変で次第次第に脂肪分がとれて行き均整がとれた身体つきになりました。
山の中で女性が独りで立ち働く姿程目立つものはありません。 彼らは使い込まれ鍛え上げられたその尻にまず惹かれました。 ダンプを止め挨拶しその豊満な乳房に更に惹かれました。
力任せに女を扱うダンプのアンチャンらにとって非常に都合の良い女性になったのです。 しかも敏江さん、時さんが卒中を発症しリハで入院中ということもあってとてもとてもご無沙汰だったのです。 ある種飢えてました。 そこに持ってきて若いアンチャンです。
お風呂で背中をと言われると頼まれもしないのに自分も衣服を脱ぎ捨て一緒に入り背中はおろか後ろから手を回し前も丁寧に石鹸をつけ汚れを洗い流しました。 筋肉質になったとは言いながらも胸などは青変わらず豊満で、それを押し付けての棹洗いとなるとどうしてもダンプを運転中尻に魅せられここに来たものですからイキリ勃ちます。
狭い五右衛門風呂の中で敏江さん、そのイキリ勃ちを右手で擦り上げ大きなふたつの丘で包みました。 長時間に渡ってこれを繰り返すと湯疲れで萎えます。 すると敏江さん、すかさず先っぽを咥えしゃぶり上げました。
湯あたりするほど躰を温めてあげた後、今度は洗い場に誘導しそこで顔を跨ぐんです。 眼前に差し出されたそれにアンチャンは夢中で顔を埋めました。 なにしろ湯上りでそこいらからシズクが垂れ、しかも湯に浸かっていたものだから肝心なところが噎せ返っているんです。 豊満な乳房が今にも腹部を打ちそうになり揺れていて我慢が限界を超えクレバスに沿って舐め上げてしまいました。
敏江さんはと言うと下薬研 (しもやげん) の莞爾さんに小屋で堕とされた時のように与えてもらった男根にしがみつき必死でしゃぶっているんです。 勢いが衰えると右手で握って扱き上げ、反りが戻るとしゃぶるを繰り返しなかなか切っ先を摘まみ上げ蜜壺に導いてもらえません。 そうこうしてるうちに呑んで騒いでいる別の男が湯に入りに来そうで焦りが先立ちあえなく敏江さんの口腔内でノックダウンしました。
それを苦労人の敏江さん、湯を汲んで洗い流したりしないでごっくんしてくれたんです。 信頼関係は一気に深まりました。
ダンプにも日に何回運べと指示が飛んでます。 これは事故を起こさないためある程度緩めに決めてがるんですが、敏江さんにお世話になったアンチャン達は関係を長引かせようとトラックを降りて箒を手に持つようになっていったんです。 女を目の前にした時の男の勢いと言うものは女のそれとは比較にならないほど役立ちます。 しかも敏江さんが締め込んだ相手というのが皆が皆先輩格の男どもでした。 手下は先輩格が箒を手に持っている以上自分が持たないわけにはいきません。 いつのまにやら競い合うように男どもが箒を持つようになっていたたんです。
これには敏江さん、身持ちが一気に浮き立ちました。 お世話になりたかったのは実は自分の方ではしたない声を上げてしまったのも自分の方が先であるにもかかわらず殊の外喜んでくれたからです。
早朝から日暮れまでダンプから離れることのできない男にとって、いくら稼ぎが良くても色街に遊びに行く暇などありません。 その溜まりきった膿を敏江さんは孤軍奮闘しロハで抜いてくれておまけに専務のおごりとして食事と酒をもてなしてくれるんです。
汗を流す風呂はもちろん、寝る場所まで世話してもらえるとあって辞めるものがいなくなりました。
ダンプは持ち込みもできましたので台数も徐々に増えていったのです。
懸命に道路を竹箒で掃く敏江さんにダンプの運ちゃんは威勢の良い警笛を鳴らしわざわざ窓を開け挨拶をして通り抜けていくんです。
しかもこういった光景が8年もの間続きました。 隠居 (えんきょ) は左前どころか里の顔役になっていったのです。
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