掘割の畔に棲む女 ~夜伽の代償~
わけても藤乃湯は秘かに添い寝する女がいると語り継がれていて、今でも千里さんのような女を目当てに遠方からわざわざ出向いてくる客もいたりするんです。 藤乃湯旅館のやり方は流行っていた頃から姑息でした。 本来なら旅館業を営むには調理師免許を持つ板前が居ないことには営業できないんですが、それらをすべて出前と言いましょうか業者が出来合いを持ち込んできたものを皿に盛りつけ客に供し、その分人件費を減らしていたのです。
しかも〇〇と思える客には特別室にご案内と称し料金をふんだくって一般客に比べ一層奥の間をあてがい、そこに雇女を差し向け酒席のとりもちや時には夜伽までさせ有り金を巻き上げていたのです。
そのため街は美月ちゃんだけは特別に学校へ通わせてくれたんですが母子手当なり生活保護なりは正式に住民登録してないものですから出してもらえないんです。 いや、転出届は出しているものの転入届を出しておらず、従ってこの街の住民台帳には載っておらず申請すら出来なかったんです。
転出してしばらくは方々を転々とし、やがてお金が底をつき行き倒れに近い状態になっているところを女将に拾われ置いてもらっていたのです。 春をひさぐのを交換条件に住まわせてもらってはいましたが、その代わりに夜逃げ出来ないよう娘を質草に取られていたんです。
観光などを生業とする街はある意味諦めも必要です。 街の職員も女将が何をやらかしているか知ってはいましたが穏便にコトを済ませたく知らないふりを決め込んでいたんです。
千里さんはこのような理由で愛おしく想えたからこそ宮内司を旅館に寄りつけなくしていたんです。 いい顔をして旅館に呼び込んだりすれば、いつ正体がばれるやもしれないからです。 ばれて惨めな思いをするぐらいなら、いっそのこと二度と逢わない方が良いとさえ思えたのです。
司と別れて帰ったその日も夕刻ともなるとその問題の客が女将を訪ねて来ていました。 千里さんはいつものように女将に呼びつけられ、早速その男の元に形ばかりの膳を運ばされたのです。
「失礼します。 お客様、お食事をお持ちいたしました」 膳を両手に長い廊下を渡り客室の前で声を掛けると 「おお、待ってたよ。 どうぞ」 中から声がしました。
廊下に跪き戸障子を開けると午後も早い時間帯に到着し女将と交渉を済ませたものだから気の早い客は湯から上がり浴衣に着替え千里さんが運んでくる料理を座卓の前に座り待っていてくれたのです。
戸障子を閉め座卓の上に持って来た料理を並べ終えると、それこそ待ちきれなかった客の方から早速に女将に言われた通りの金額を財布から取り出し千里さんに握らせたのです。 離れの小さな部屋でお腹を空かせて美月ちゃん夕食を待ってくれています。 受け取らないわけにはいかなかったのです。 夜伽の交渉の成立でした。
「こちらの料理は今火を点けてよろしいでしょうか?」 千里さんは定石通りの言葉を口にし鍋物に火を点け席を立とうとするんですが 「膳を下げるのは一番最後でいいから寝る前に腰でも揉みに来てくれんかの」 躰全体を値踏みしながら千里さんに按摩をやれと言ってきたんです。 「いろいろ片付け物もございますので終わる頃にはお客様もお休みかと」 「按摩なら女将を通じてお呼びしますので」 いろいろと言い逃れをしてみたんですが、握らせた金額が足りないとでも思ったのか更に上乗せし握らされてしまったのです。
(これだけ頂ければ、この先しばらくの間は追い出されることもない) 負け犬根性に染まってしまいそのようなことを考えるようになってしまっていたんです。
千里さんは今では廃れてしまった住み込みの女中。 早朝から起き出して掃除や洗濯、食事の世話までこの旅館内のことは一切合切やらされ、それでいて男から握らされたお金は全て女将に取り上げられ、その上がりの分け前ということで母娘ふたりは小さな部屋を与えられ細々と暮らしていたんです。
贅沢品が買えなかったのも喫茶に入れなかったのも貯えはおろか、夜逃げさせないため余分なお金は一切与えられていないからでした。
夜伽にしたって旅館の誰もが寝静まった後、台所やお風呂の掃除を終えやっと男の元に通れるのです。
夜が白むまで散々弄ばれ、ほとんど寝ないまま朝の仕事を済ませ客の見送りに土産物店に立ち寄り、そこで千里さんを探しに来てくれていた司に見つかってしまったのです。
後になって思えば千里さんの油断でした。 あれ程まで熱心に口説こうとしてくれた男性が、そうそう簡単に諦めて帰るはずもありません。 しかしその朝の千里さんは我が娘と司という男のことを思うあまり気を病んでいたんです。 疲れ果て、何が何だか分からなくなっていたんです。
千里さんの後を司が付かず離れずつけていたことすら気付かなかったのです。
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