最果ての島

比田勝の港から望む玄界灘はそこから見ても白波を立て荒れ狂っているが、はるか彼方は春霞だろうか、幾分かすんで見える。 天候に恵まれたと表現したほうが良いのだろう、うららかな春の日、初めて訪れた見知らぬ土地で加奈子は冷たい風の中にあって加奈子は暖かな春の陽射しを感じていた。
春の柔らかな風に誘われるように、加奈子は目的地に向かって歩き出した。 思い切っていつものような街穿きの靴ではなくスポーツシューズにしてよかったと思った。 フェリーを降りた時からして地面は海風の影響からなのか、ひどく荒れていたのである。 おまけに平坦地が極めて少ないように思えた。
フェリー乗り場から目的地に向かって歩き始めて間もなく、街並みが途切れ、道の脇から山に至って切り立った崖状になっていて、まるで樹海でできたトンネルをくぐるようなありさまで、しかももうそこからもうかなりの勾配の上りになっていたのだ。 おまけに嵐が過ぎ去った直後からなのか、街中であっても人通りはほぼ絶えており、街を外れるといよいよもって人や行き交う車の姿は皆無となった。 ヒッチハイクでもいう考えが甘かったことに否応なく気づかされた。 仕方なく空を見上げながら歩いた。 抜けるような青空がどこまでも続いていた。
(思い切って旅先に辺境の地を選んで良かったわ。 海だって透き通るようにきれいだし……)
出来る限り暗い気持ちを吹き飛ばそうと、東京に比べ良いことだけを考え歩を進めた。 だが、進むべく先に向かって道は益々切り立った山裾に生い茂る木々の枝葉が茂り、まるで夜に向かって歩いているような感覚にとらわれた時、いきなり目の前にトンネルが立ちはだかった。 こちrふぁの入り口同様、このトンネルを突き抜けてもその先はまた藪が生い茂っているのだろう。 トンネルの先に光が見えない。 入口のプレートには比田勝トンネルと記してあった。
(まるで国境を抜けると……って雰囲気ね)
気を取り直してトンネル内を歩き始めたが、何しろトンネル内に内地では当たり前になっている足元を照らすための気の利いた灯りがまず無い。 おまけに地面のアスファルトのそこここが劣化し剥がれ、天井から滴り落ちてきた水滴で水たまりができている。 その水たまりをよけ、思わず足早に歩を進めた。 身の安全のためにはそうするしかなかった。 真っ暗なトンネル内を田舎ならでは、平気で無灯火の車が、それも相当なスピードで通過していった。 ぐずぐずしていて次にまた無灯火の車が通り、たまたま水たまりを避け車線にはみ出したところに出くわしたりすれば即、路傍の石ころぐらいの感覚で弾き飛ばされそうな、そんな気にさせられたからだ。
(冗談じゃないわ……フェリーだって半端なかったのに、これ以上不幸に見舞われたら……)
悪いほうにばかり考えるのも無理はない。 持って行き場のない気持ちを落ち着かせるために旅に出てたのだ。 ところが、九州郵船の小倉~比田勝ルートは通常、小倉を出港するのは朝方と決まっていて、凡そ6時間かけて対馬の北端に近い比田勝港に入港すると書いてある。 だが、今回は (今回はというより冬になると常のことらしいが) 数日前から海が荒れだし、当日小倉を出た船は波高が安全基準値より高いということで湾の入り口で引き返し、波がやや治まったと判断が下された夕刻になって小倉を出港した……いや、積み荷の大半が乗客ではなく島の生活物資であったため判断基準を甘くしてでも出港せざるを得なかったのであろう。 とにかく出た。
地図上での航路は小倉と比田勝をほぼ直線で繋ぐが、波が高いときは一旦波に向かって日本海に進路を取り、波の形状とタイミングを見計らって一気にUターンし、今度は船尾に波を受け帆船のごとく比田勝港に向かう。 その、余分な距離を、しかも安全を期しノロノロ進むため倍近い時間をかけ対馬は比田勝に向かうのだ。 加奈子たち乗客は朝の便で散々酔った挙句戻し過ぎ (ゲロ 嘔吐) 諦めかけた頃になって引き返され、その折の気分がまだ整わない、しかも波高は依然として高いというのに夕刻の便に乗せられ出港したのである。
フェリーとはいえ 「げんかい」 はわずか675トン、小倉港に停泊中であっても風に吹かれた木の葉のごとく揺れ、据え置いてあった洗面器に新聞紙を敷いたものを出港前の湾内で抱え、脇で人が寝ているのもお構いなしにゲーゲー始めてしまった。 いよいよ戻すものがなくなった……いや、気が遠くなった頃になって玄海灘というよりほぼ日本海上まで進出し萩の沖合に至ってUターンが始まり、波に流されること凡そ2~3時間 (遅れた分を取り戻すべく速度を上げる)、精も根も尽き果てた頃になってやっとのことで比田勝の港に着岸できた。 下船できたものの躰の揺れはおさまらなかったが、何しろ周囲に人がいなくなるので岸壁から遠のくしかなかった。
(どうしよう……こんな状態でホントに最後まで歩きとおせるだろうか……)
強がりを言ったものの鰐浦~比田勝間は凡そ10キロある。 島だからなだらかな道が続くだろうと高をくくっていたが、港湾から望む周辺の道は相当アップダウンの繰り返しのようなのだ。 不安で胸がいっぱいになり立ち往生していると
「どがいしたん、お姉ちゃん。 うん? なんだ、宿の場所がわからんとか?」
潮風で真っ黒に日焼けしたおっちゃんが話しかけてきた。 表情から言ってもどう見てもナンパではなさそうである。
「うううん、宿は……ええ~っと……ワニウラってとこで取ってるから」
「ええっ!! 鰐浦!? なんであんなとこに? 何用があって行きんさる? 何んもないで、あそこはよう」
目を丸くして応えてくれたが、さりとて自分の車で送ってやろうかというような気の使いようは期待しようがなかった。 港湾関係の方だったんだろう。 一言掛けると、さっさとフェリーの方向に帰って行った。 フェリーが到着してものの10分もすると、港湾には関係者らとみられる方々以外乗船客の姿が見えなくなった。 恐らく今の便で同じように観光目的で来られた方もいただろうに、おっちゃんの言ってくれた予約してあるだろう宿の主が迎えに来ていそうになかった。 その場から立ち去るしかなかったのだ。
(……そうか……ここでは自分の足で歩けということなんだ……)
観光のパンフレットにも、そうそう派手な案内は記されていなかった。 その素朴さにひかれてここを選んだのだが……街を外れ一歩トンネルに入るとそんな気持ちはすっかり掻き消えてしまっていた。
棲み慣れてはいたが、どちらかといえば東京の生活で疲れた躰と心を癒すためにこの土地を選んだのだ。 スーツではなく、まるで登山にでも出かけるような服装で来たのが正解だった。 船旅はともかく、島のそこここの風景は身も心も軽くしてくれる。 比田勝港を出発して間もなく、よく見てないと気付かないほどの小さな川が流れていた。 東京の隅田川と比較し、いかにも澄み切っていて小魚がいっぱい泳いでいる。 如何にも水深がありそうなのに川床と言おうか湾の岸辺と言おうか、透けて底で蠢くものが手に取るように見えるのである。
その川を、物珍しそうにのぞき込んでいると
「こんにちは」
たまたま自転車で通りかかった人が気軽に声をかけてくれた。
「こんにちは」
加奈子も挨拶を返したが、小さなかすれた声しか出せなかった。 こういったところに都会のよそよそしさ、他人行儀差がでるんだと苦笑した。 思い切って旅に出たのというのに加奈子は、未だくよくよと東京での出来事を思い返していた。
加奈子が旅に出ようと思い立ったのはある男性とのいざこざがきっかけだった。 以前から日々の生活に疲れを感じてはいたが、さりとて今の生活を捨てる覚悟をとまで言い切れなかった。 その覚悟を決めさせた出来事があった。 失恋というのではないが、いたくプライドを傷つけられたのだ。
加奈子はそんな過去を断ち切るべく、急ぎ足でトンネルの出口へと向かった。
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