海栗島の食堂でアルバイトに励む美咲

鰐浦湾を見下ろす絶景の地に建てられた海栗島の隊舎の食堂は湾に向かって全面ガラス張りになっていて、窓の外に出て海を眺めることが出来る狭いながらも空き地が設けられている。 美咲は忙しい作業の合間を縫ってはここに出て、隠れるようにしてタバコを吸っていた。
「へえ~、美咲ってタバコ吸うんだ」
食事を終え出てきた新兵の浜田が茶化す。
「吸うよ、悪い。 そういう浜田さんて、タバコを吸う女は嫌いなんだ」
「そうじゃないけど……ランナーにはタバコはね……・それに、ちょっと驚いただけ……」
浜田は口ごもった。 美咲は他のふたり……厚生班の幾世、会計班の和江らと比べ、明らかに派手な女の子。 ところが仕事が始まると、途端に他のふたりに比べ真面目になる。 タバコを吸う姿が板についてる風に見える美咲。 これが本来の彼女じゃなかったのかと、ふと思えて、正直な気持ちがそのまま口をついて出てしまったからだ。
「ウチなんかにちょっかい出して、こんなとこ幾世に見られたらまずいんじゃない?」
茶化すつもりが逆に茶化された。 美咲に言われるまでもない、彼女に比べ幾世は見た目清純で気弱そうに見え、その実噂通り真逆だったからだ。 自分のことはさておき、こういったところを見たら気持ちを表には出さないものの、更に輪をかけ噂通りのことをやるだろう。 浜田にとって、それが怖かった。
「ここに居たらまずいとでも言うの?」
浜田が真剣な目で問いかけると、美咲はへへへっと笑って、そこから先何も言わず、また給与班に引き返してしまった。
仲間内では浜田と幾世が親密に連絡を取り合ってることが相当有名になっていたんだろう。 本音を言えば自分が付き合いたいくせにこの時は、幾世に遠慮して何も言えなかった。 美咲とはそんな女だった。
むろん、幾世にぞっこんの浜田はそのことを知らない。 この時は美咲が丁度うまい具合に誰も邪魔する者のいない食堂の展望に出て行ったのを目にしたので、後を追って外に出て幾世が果たして自分のことをどう思ってくれているのか、親友である彼女に訊きたく口を訊いただけだった。
恋愛は盲目というが、美咲のことは和江から聞かされていた。 ある日、早飯 (食事は順番製で早飯は11時からとなっている) を食べるため食堂へ向かう階段を下りかけ、下から上がってきた、それほど親しくない和江に声を掛けられた。
「幾世ちゃんと付き合ってるんだって? 止めといたら? あの人は義理のお兄さんが推す林田さんと結婚の約束できてるら……」
わざわざ出来てると警告してくれたが、普段話す分には幾世は婚約だの林田が連日泊まりに来て躰の関係だ出来てるだのについて口にしなかったものだから、どうせ義理のお兄さんに頼まれ、自分も彼女が好きだから仲を裂こう、噂を立てようとしてるんじゃないかぐらいにしか感じてなく
「……電話で話す程度だから……」
そう応え急いで食堂に向かおうとする浜田に向かって
「美咲ちゃんはどう? あの子、ああ見えていい子だよ」
そっと、恐らく彼女が和代に向かって心の内を伝えたであろうことを、それとなく教えてくれていたのだ。
「可愛らしいから付き合ってみたら……か」
彼女と同期生のふたりの女の子、幾世と和江は口をそろえ、丁度恋愛に関心を持ち始めたであろう多くの隊員に向かってこういう。 浜田は自分にもその順番が回ってきたぐらいにしか思っておらず、しかも他の多くの隊員はそれを
「よさそうに見えたけど……俺はちょっと……俺だけかと思ったら他にも……いたんだね」
彼女と一度は交際しようとしたことのある隊員は、口をそろえて残り物を押し付けられた風に嘆く。
相手が気を悪くするような言動を、美咲は絶対行わない。 その分紹介すればするほど不特定多数と交際したことになる。 言い出しっぺの和江はこう言われると返す言葉もない。 どう見たって自分や幾世に比べ派手なフレアのミニスカを身に着け、ケバイ化粧を施し勤務に上番してくる。 それぐらい覚悟のうえで真剣に付き合ってほしいと、紹介という手段をとったからだ。
表向きは厳格風に見え、我慢が限界を超えると例えばバー桂に出向いて頑張り夜を徹して呑み、客がすべて帰っていった明け方になってお姉さんを持ち帰る。 或いは手っ取り早く花子を買いに行く。 それがここいらの漢の昔からのやり方だったことからすれば、美咲がそんな男の気持ちを慮って勘違いするのも無理はない。
あけっぴろげな彼女は、交際を申し込んでくれた喜びで何でもかんでも正直に話し、与えてしまう。 訊くところによると彼女は、申し込まれたら複数の男性相手に恋の同時進行をやらかしてしまうらしい。 しかも未だ恋に発展するかどうか不明な段階で肝心なことを忘れ先へ先へと行動に移してしまうらしいのだ。
入れ替わりの激しい自衛隊は、民間へのアピールと人員不足を補う目的で技官や事務官を雇う。 彼女らは丁度その時期に採用された。 その同期生3人組とは、幾世は泉の漁師の娘、もうひとりの和江は豊の網元の娘、そして美咲は鰐浦の漁師の娘……らしい。 らしいというのは、美咲だけそこいらに関し、素性が知れていない。 地域的に見たら美咲が一番根暗のように思えて、姿や態度もそうなら心根も実はそうでもないように思えた。
加奈子が感じたように、一番心が読めないのが泉の幾世で、次いで豊の和江、鰐浦の彼女はどちらかといえばあけっぴろげ。 噂によると彼女は中卒後、良くも悪くも本土で独り暮らしを立てていたようなのだ。 小倉で、風俗で躰を売って働いていたらしいのだ。 彼女からすれば、都会派は自分だと言いたかったようだ。
バー桂のお姉さんたちはもちろん、花子も男性と躰の関係になってしまうことを表面的には何とも思っていない。 美咲も同じで、海栗島に勤めながらその件に関し、親しくなってから問うと実にあけっぴろげに応えてくれたらしい。 まるで、鰐浦の悪習を断ち切りたいかのように天真爛漫にふるまっていた。
海栗島の一部の自衛官は確かに軽い彼女を、その目的のためだけに利用した。 しかし、他の多くの若い隊員は彼女との将来を真剣に考え交際を申し込んだという。 ところが、仲良し3人組の残りのふたりからはもちろん、彼女と過去関係を持った……であろう隊員たちも挙ってこの、彼女の黒い噂を、殊に和江などは彼氏とつるんで口にした。
小倉で精神を病んだからこそ、空きがあると聞きつけ小倉を引き上げ鰐浦に帰って来たであろうものを、まるで追い出すかのように彼女を論つらったのだ。
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