四畳半での謝礼 ~傷ついた哲也を案ずる救急外来のナース~
(あの野郎…やりやがったなー)
逃がしてやった後悔と、お人よし過ぎた怒りとで頭がどうにかなりそうだった。 大事な警備服だって無事では済まないだろうが、調べる勇気は湧いてこなかった。
荷物を拾い集め、小脇に抱えて公園を出ようとして誰かが近づいてくるのに気付き身構えた。 生垣の向こう側から現れたのはナースだった。
「あそこで誰かと争っていたのは、もしかしてあなたですか?」
痛めた躰を引きずるようにして歩いている哲也を見て、ナースは持っていたピッチでどこかと連絡を取り始めた。
「それがどうかしましたか?」
初対面の人間に対する下目線の物言いに心底腹が立ち、睨み据えた。 今頃になって現れ、正義漢ぶって通報しようとする。 その態度が気にくわなかった。
「どこか怪我しなかったですか?」
観ればわかるだろうと言いたかった。 医療の専門家であっても、薄暗い常夜灯の下では、余程近づいてみない限り状態は分からないらしい。
「別に。 どうってことないですよ」
つっけんどんに言い放った。 歩き方ひとつにしたって一見しただけで、尋常でないことぐらいわかりそうなものだと思ったからだ。
そこまで言い切られたにもかかわらずナースは、公園入口を出ていくときも交差点を右に曲がり病院の脇の通りに向かって歩いていくときも、ぴったりくっついて離れない。
「まだ通報し足りないんですか? それとも逃げないよう見張るつもりなんですか?」
あんまり腹立つものだから、つい皮肉な言葉が口を突いて出た。 相手は何をというような顔つきをした。
ものの30メートルも進まないうちに街路を照らす病院の防犯灯にふたりは照らし出された。 警備服が頑丈にできてて破けはしなかったものの、血痕が付着している。 どうやら至る所出血しているらしい。
「うわあ~~ 頬から耳にかけて痣が出来て腫れてるじゃないですか。 んもう、目はちゃんと見えてますか?」
暗がりの中、心が通い合わない状態で近づき、争うことになってはまずいと近寄らなかったものを、防犯灯に照らし出され勇気が湧いたのか、しかも救急外来入り口近くなると安全だと思ったのだろう。 看護診断が始まった。
その間にもどこかと盛んにピッチを使い連絡を取り合っている。 耳を澄ませよく聞くと、どうやらそれは当直ドクターや病棟の師長との連絡のようなのだ。
現場ナースの独断で救急外来に招き入れ、当該患者を診察したら入院・加療が必要になったりすれば当直医の責任問題。 事前にそこいらをチェックしつつ近づいてきたようなのだ。
「はい、はい、そうです。 本人もここにいます。 ええっ、わかりました。 ちょっと待って」
急にナースが目の前に立ち塞がった。 歩きながら診る程度ではドクターに説明が出来ないらしい。 哲也を真っ直ぐ立たせ、ペンライトで眼球の動きを追った。 眼球を右に動かせだの左に、或いは上にと指示し、光を当て診ていく。 口を開けさせ、口内の様子をも観た。 首をぐるぐる回させ、どこか痛むところはないかと問う。 血が滲む耳腔内もざっとみた。
「目は充血してるけど、眼球から出血してるようには見えないわ。 でも出来たら明日にでも、眼底カメラを使った診察を受けたほうがいいわね」
表面上なんともなくても、網膜剥離のような状態になってるかもしれないとナースは言う。
「頭蓋や頸椎だってそうよ。 詳しく検査しないと分からないことだってあるんだから。 今日は興奮しててわからないかもしれないけど、時間が経てば痛む個所も出てくると思う。 検査しといたほうがいいわよ」
救急外来では、そこまで面倒見切れない風にいう。
「そんな理想論を唱えられても、俺はもう随分長い間保険に入ってないし。 第一仕事休んだりしたら生活できなくなる」
もういいから職場に帰れと言い放った。 食うに困らない人たちから御宣託を並べ立てられても、それで腹が朽ちるわけがない。
わざわざ急外を抜け出してまで付きまとうなら、なぜあの時と言いたかった。 この時の哲也は、下層階級独特のひねくれた顔つきでナースを睨み据えてたんだろう。
「そう…じゃあ勝手にしなさい。 …断っとくけど、あなたが繁みから現れる、ほんの少し前にふたり連れが出ていったわ。 あの方たちでしょ? もめてたの」
この地で勤務に当たらなければならない病院関係者。 殊に夜勤者にとって争うのを無視したくはないが、あのようなことを平然とやる彼らに、病院勤めをしなくちゃならない以上良い感情を持ち合わせているわけがない。
警察だって手を焼いている。
そんな彼らに、事もあろうに身分が分かる制服のまま立ち向かう。 いかに無駄で無謀なことかと言いたかったのだろう。 相手を逃がした今、状況証拠を掴もうにも調べようがない。 怪我でもさせていたら、こちらが加害者にだってなりうる。
「さあね…忘れちまった」
ふたりが一緒に出ていった風に聞こえ、哲也を苦しめていた痛みがどこかに消えうせるような気がした。 助けたはずの女は、やっぱりその程度だったのだ。 それが分かると心底腹が立ったし、情けなかった。 ナースは言葉にこそ出さなかったものの、下手すれば…官憲を呼ばれたりすれば職を失う。 そう言いたかったようなのだ。
哲也は改めて、今来た道を振り返った。
昼間見る分には如何にも健全な公園に見え、その実危険この上ない。 日が暮れかかると公園は名目上管理者不在と称し閉鎖される。 今回のようなろくでもない輩が出入りし、治安が保てないからだ。
病人を抱える病院側がこれにかかわってしまっては入院患者の安全が保てなくなる。 彼女はだから、ギリギリの段階で、しかしあまりにも派手に暴れまわったものだから、思い余って飛び出してきたんだろう。
今の哲也はその気持ちを受け入れるだけの余裕がなかった。 生活全般から考えれば、夜の闇に蠢くよろしからざる一味に、自らも成り下がり始めていると思えたからだ。
痛む躰を、だましだまし動かし、辿り着いた駅の時計を見て愕然とした。 アパート方面に向かう最終バスは出た後だった。
(…歩いて帰れかぁ~~~勘弁してよ~~……)
彼は最初の頃は自転車で通っていた。 が、道端に自転車を置いて警備に当たり、業務を終え戻ってみると自転車が荷物ごと消えているなどということが度々起こり、お金もないし、次の自転車を買うのを諦めバスに替えていた。
そのバスにまで見放された。
(いや、待てよ。 こうなりゃ、駅のベンチで寝るかぁ~~)
痛みに耐えて歩けば、歩けないこともない。 が、そんなことをすればただでさえ穴があきそうなボロ靴の底が、いよいよもって抜ける。 どこか塒を探し、そこで一晩過ごすしかなかった。
(…チッ、俺も落ちたもんだ…あれほど馬鹿にした、ホームレスに成り下がるってか…)
親切に躰を見てくれたナースへの、裕福な人間への卑屈な気持ちが拭えず楯突いた。 これはその罰だと思った。
お金が無くて昼も抜いている。 空腹には違いなかったが、寝る場所にありつけるというのは有り難いものだとつくづく思った。
ベンチに横になると躰は正直なもので眠気が襲って来た。
駅員に悪いとは思ったが、普段着に着替える気力もない。 普段着を入れたバッグを枕に目を閉じた。 哲也は先ほどのナースに一服盛られたかの如く、何時しか寝入ってしまっていた。
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アップデート 2024/02/21 12:45
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