四畳半での謝礼 ~わざわざ職場まで様子を見に来てくれたナース~
不安に駆られながらも疲れと睡魔には勝てず、眠りに引き込まれた哲也を駅員は、アルバイトに間に合うよう起こしてくれた。
(ふう~、助かったァ~。 ここからなら自宅と違い割と近いが…、う~ん…その前になあ…)
まさか店に警備の服を着て仕事というわけにはいかない。 祈るような気持ちでバッグをトイレに持ち込み開いた。 大穴でも開いていたら、どうにかして肌が露出しないよう誤魔化さないと妖し気で街を歩けない。
「ちっきしょう…やられた…どうしよう…」
どこが引き裂かれたのどころではない。 元々着た切り雀で生地は傷んでいた。 闇夜でわからなかったが、捨ててあったものを拾って来たが如くボロボロにされていたのだ。
夜明け前とはいえ街の中を、汚れ放題に汚れ、裂けてボロボロになった服を着て歩いたりすれば、祭りの仮装行列ではないのだから通りかかる人が見たら良い気はしない。 見た目多少はマシな警備服で移動するしかないが、職場では時間がダブル可能性のあるバイトを禁じている。
(見つかったらヤバイよなあ~…かと言って無断欠勤もなあ~)
上司が罰を食わないよう、気を使いながら働くと、何かと勤務に手心を加えてくれることもある。 それをあからさまに違反してます風な服で登場されては彼らの立場が無い。
かといって下手な言い訳で無断欠勤でもしようものなら、他のバイト仲間に迷惑がかかる。
(あの金額で休みに呼び出されたら、そりゃあ腹が立つよなあ~…)
同病相憐れむ。 上に向かって愚痴を垂れはしたが、仲間がいい加減な生活を送ってるからと、それについて揶揄したことはない。 そこに至る経緯が、その人をそこまで貶めた。 そう思えてくるからだ。
仕方なく汗じみて汚れた、せっかく脱いだ警備服をまた着て、その格好のまま店に向かった。 過去に幾度か店の制服を持たずバイトに来てしまった輩がいたんだろう。 正職は黙って予備の、かなりだぼだぼの服を出してくれ、それを着て職場に立った。
哲也のバイト時間は、早朝から午前の要員が出勤してくる時間帯まで世職とふたりで店を回し、それが引けると大急ぎで近くの公園のトイレに飛び込み着替え、警備の現場に向かうのが常だった。
多少消えてはいるものの、頬に青たんを作り、フラフラしながら立ち働く哲也の様子をしばらく見ていた正職が、ロッカーからトラップインパクトを出し、肌の色を誤魔化してくれ、早朝のまだ客が来ない時間帯に余りものを賄いとして出してくれた。 哲也はそれを貪るように口の中に放り込んだ。
哲也は今の生活を維持し、将来に備えるため、食事は日に2度と決めていた。 出がけにパン屋がくれる食パンの耳を水と一緒に流し込む。
夕方…といっても昨夜と大して違わない時間になるだろうが、現場を終わって家路につくまで水も食事にも、だからありつけない。
(うんめえや、客はこいつを食ってんだ。 目が回るのは、昨日殴られたからとばかり思ってたんだが、腹減ってたんだなあ…ヤレヤレ、一息ついたぜ)
返しを何かしなきゃと辺りを見回した。
客の食べ終わった食器類は自動洗浄できるが、台拭きだの厨房機材は自分たちで洗わなきゃならない。 が、バイトの作業配分にその分野は、正直ない。
どうしようもなくなって業者を入れるが、時間が限られているため、思ったほど綺麗に仕上がらない。
哲也は食べ終わると黙って黙々と油まみれになったそれらを洗い始めた。 確かに食品衛生上、余りものを与えるだの持ち帰るだのは禁止されている。 上層部が底辺生活者の気持ちなど理解できないのはわかる。 が、日頃、その余りものでもいいから食いたくて気がヘンになるときがあった。
正職は、そっけないような顔をしつつもちゃんと自分のことを見てくれていたんだと思うと、涙が溢れて困った。
ハイターと洗剤まみれになりながら、ステンレスたわしや頑固たわしを使い油汚れを落していった。 たかだかどんぶり一杯の賄を腹に詰め込んだからといって、たちまちそれがエネルギーに代わるわけがない。
日頃の不摂生が祟り、おまけにハイターと洗剤が織り成すガスが立ち込めるものだから時々気が遠のいた。 それでも恩返しがしたく、懸命に擦り、交代時間に間に合うよいう厨房をきれいに磨き上げることが出来た。
「おい! 中谷。 まったくしようのないやつだなお前はよう。 忘れたって言うから貸してやった制服を、こんなドロドロにしやがって。 わかってるだろうな、持って帰ってきちんと洗って返せよ」
交代要員を前に、憎々し気に言い放つ正職。
「はい、すみません」
心の中で手を合わせながらこう返した。
いくら裏口とはいえ、警部服で立ち去ったとあっては後々どういう処罰が下されるとも限らない。 夜が明け、行き交う人が多くなる分見つかる確率も高くなる。 正職は頑張ったお礼に、本来は外で着ることを許されてない制服を貸してくれた。 哲也が、すぐ脇の公園内のトイレで着替えを済ますことを知ってるからだ。
血液の付着したような警備服で店を出たとなると、衛生面も疑われる。
哲也は急いで公園に向かい、いつものトイレので水道で警部服に付着していた血液をざっと洗い流すと、濡れたままの服に着替え現場に向かった。
業務の途中雨に降られ、びしょ濡れになることだってままある。 それに比べ、濡れてるとはいえ季節は夏。 きれいに洗った後だから着干ししたからといって風邪をひく心配のないし第一相手の血が付いた服を着るより気持ちが良い。
厨房の洗浄で疲れはしたが、パンの耳ではなくちゃんとした肉が腹に収まってる。 疲れているはずなのに、足取りは軽かった。
行程の、半分も行かないうちに服は乾ききり見栄えが良くなったが、その分裾は埃にまみれた。
現場近くの空き地に着くと、見慣れぬ車が止まっていた。 空き地に入って来た哲也を見つけ、車から女が降りて来た。 昨夜のナースだった。
「今日も暑くなりそうね。 汗かいたらこれに着替えるといいわ。 女物の着古しで悪いけど、多分男のヒトが着ても違和感ないはずよ」
今流のしっかりした買い物袋いっぱいに、Tシャツやらジーンズ、靴下などを詰め込み、持ってきてくれていた。
「あのう……オレ、こんなことされる覚えないんですけど…」
何か裏があるんじゃないかと疑い、断った。
相手は如何にも聡明そうな美人、こちらは段ボールから這い出したような出で立ち。 わかってはいたが、それを認めたくはなかった。 誰にというわけではないが、頑張って立派になって、いつか見返してやろうと心に決めていたからだ。
袋を差し出す彼女から、右に逃げ左に逸れした。 それを、現場の連中が物珍し気に見ていた。
「おう、アンちゃん。 そんヒトはお前のレコじゃないんか。 人の親切は受けておくもんだ。 俺等が到着する前から、ここに来て待っておられたんだ。 綺麗な人じゃないか。 断ったらバチが当たるぞ」
現場のおっさんが茶化す。
警備とは、現場あって成り立つ。 おっちゃんであっても命令には違いない。 横を向いて受け取った。
そんな哲也を、ナースは昨夜と同じ視線で見つめる。 逃げ回る間も、しつこく追わず距離を取って観察していた。
「服の下にちょっとだけど飲み物と食べ物入れといた。 暑いから食あたりしないうちに食べてね」
どこからどこまでナースだった。
「現場が到着する前って? どうしてオレが今日ここに立つって……それに、昨夜は夜勤じゃなかったんですか?」
当然の質問だった。 午後九時もとっくに過ぎた頃、救急外来から出てくるということは夜勤に相違ないと思ったからだ。
「日勤帯が終わる直前、救急搬送されてこられた方がおられたのよ。 処置が終わったのは丁度、ほらっ、あなたが公園から出てくる少し前。 その人、入院になったけど、手が離せなかったのよあの時間」
入院後の容態観察に病棟に上がり、打ち合わせを終えて病院を出たのが午前二時、帰宅し急いで着れる服を探し出し駆け付けたら作業開始より少し早かったと言った。
「じゃあ寝てられないんじゃ…オレなんか放っといて寝ればよかったのに」
「気にしなくていいわよ。 いつものことだから。 じゃあ行くわね。 今日もこれから仕事なの」
言い終わるや否や、タイヤを軋ませ現場を出ていった。 目の前の道は通勤路なんだろう。
安全に見送るべく、バッグから警棒を出そうとして、折れてることに気付いた。
(とすると…旗振りしてるの、見られたかな)
見られても良いと、生まれて初めて思った。 自分のやってる努力なんか、彼女の苦労に比べたらモノの数ではないように思えたからだ。
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アップデート 2024/02/21 12:45
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