知佳の美貌録「遥か向こうに枕芸者衆の棲む街が見える」
枕芸者街を囲むようにして点在する農家が所有する地はというと
この湖沼群の外は草木も生えぬと言われるほど茫漠(ぼうばく)とした砂地、大川が運んだ砂でできた三角州に荒波によって運ばれた海水まみれの砂が混じって堆積し行けども行けども砂時計にでも用いるかのよな粒子の細かい砂地に次ぐ砂地で、台風どころかほんの少し風が強い日にはこの砂が風で巻き上げられ飛ばされ、作物や時に小さな小屋など簡単に埋まった。 そんな地で作物を育てるためには畑の周囲を育ちが早い麦(早春に育ってくれ、水涸れに強く、背丈が高く細いわりに束になると折れにくい)で防風林のようなものを作らねばならず、また、日々水をかけてやねば水涸れをおこしてしまう。 その生きる頼みの水場にしても砂地を越え延々大川まで出ないことには所詮砂地、井戸など多少掘っても水は出ず、あまり深く掘ればかえって海水が混じって出てしまう。 彼女らは日が照れば大きな肥担桶(こえたご)に満杯の水を汲み天秤棒(てんびんぼう)でになって足元が砂地の中を延々自分の畑まで運ぶ訳で、整地された今のような農道ではなく他人の畑と畑の間の言わば畦道を運ばされる故、バランスがとりにくく ただでさえ食わせてもらってない躰に相当の負担を強いた。 それでもこれを運ばなければ一家もろとも飢えることになる。 病にでも犯され、担げなくなろうものなら たったそれだけの理由で堪えて家を守り通してきた姑の「役立たずの嫁」の一言で離縁される。 この地を称して「嫁殺し」と呼ばれたのもこんな由来があるからでした。 緑豊かな奥山の小作育ちとはいえ このような土地で済み暮らした経験のない娼婦は、この様子を見ただけで足抜けを諦めたほどだったといいます。
GHQの指導があったればこそ出来た枕芸者の住む街に通ずる街道
先にも書いた通り、花街の中でも遊郭街は一般市民と分け隔てした場所にありました。 今その町が存在していたとすれば一般市民が起居する街の街路と女たちが起居する街路は明らかに異なることが見て取れるとおみます。 それと同様、枕芸者の住む街と一般市民の住む街の中間には公的に許されていない人々が住み暮らす集落がありました。 集落とはいえ殆どが未開に近い砂地まみれの畑ですが・・・ 公的に許されていないこの地区は穢多・非人部落と同様とみなされちゃんとした道(真っ直ぐな ある程度幅のある)は整備されていません。 つまり上の写真にあるような街道は当時開通していなかったのです。 そこを女衒の孫娘はたったひとりで使いにやらされたのですが・・・
この子に言わせると、それでも捨て子扱いされる女衒の家でお姫様の顔色を窺いつつ働き詰めに働かされるより 散歩がてら景色を楽しみ花街に出掛けるほうが余程良いと思えたようで、文を預かると勇んで出かけたと言います。
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