四畳半での謝礼 ~哲也と人妻、ふたりが思いを馳せた海~
「おはよう、おばちゃん。 わかってるよ、わかってるって。 でもなあ、俺なんかどこの会社も雇ってくんないんだ。 海だけだよ、楽しいのはよ」
盆を過ぎると海はその姿を変える。 夏の間、太平洋高気圧の影響で南から北に向かって吹き上げていた風が、季節が代わってまた西風になり、一気に波高が高くなる。
あんなに賑わった浜辺が、急に閑散としてくる。
おばちゃん、女の子が来なくなった海が、そんなに楽しいんか? と、問いたかったのだろう。 会社勤めをするなり、休みに街に出かけたりすれば、運がよければ相手が見つかるかもしれないのにと言いたかったのだろう。
が、哲也にとって波が異国の何かを運んでくれるであろうからこそ海は楽しかった。 実社会は見た目で判断する。 相手が誰であろうが決めつけてかかる。 海は漂流物を運んできてくれる。 そこに差別はない。 あるのはツキ
その同じ海に、また別の意味において思いを馳せ彷徨える人物が複数人いた。 そのひとりがあの人妻だ。
好天の日もあれば、今にも泣く出しそうな空を見上げつつ彷徨わなければならないときもある。
哲也は、趣味に事欠け茫漠たるものを探し求め海岸線を彷徨い歩いているのに対し、人妻は茫漠という点では似通ってはいるものの、探す範囲は桁違いに広範囲で、モノも夢とは必ずしも言い難いが、あるにはあった。
おばちゃんが心配する理由はもうひとつあった。
哲也が職探しで疲れ果てて帰って来たある日の夕刻、彼のアパートにまた別の訪問者が現れ、白い紙きれをヒラヒラさせ、
「中谷哲也だな。 これがなんだかわかるか。 ああ~ん」
凄んで見せた。
巡査程度なら門前払いをくらわすところだが、訪問者の眼光がそれを許さなかった。 公園で渡り合った地のスジの漢とまた違い、命のやり取りをもいとわないと言った風体なのだ。
イマドキ先の尖った革靴にポマードを塗り付けたかと思えるほどの芳香を放つリーゼントスタイル。 よれよれながら、他の数人と違いちゃんと背広を着こなしている。 社会的にやってはならないはずなのに、ヒトにモノを訊きながら、平然と煙草を吹かす。
すったもんだの挙句、追い返すことは出来たが、それが裁判所が発行した任意同行の書類だった。 その様子を、何時も心配してくれているおばちゃんは物陰から見てくれていた。
「だから言ったろう? あんたの部屋にゃろくなやつが…、第一おかしいじゃないか」
私だったらこんなぼろっちい部屋を訊ねるなんてまっぴらだね。 と、こう言った。
下層階級で生きていかなきゃならなくなったときから、誰しも官庁や官憲に弱くなる。
哲也はおばちゃんから見れば掃き溜めに鶴。 大切だからこそ物陰から見守ってくれてはいたが、刑事ドラマによく出てくるおばはんのような口出しは一切しない代わりに、哲也が留守すると、決まって女が訊ねてくるがと決めつけたような小言を口にし出した。
黙って聞いてたが、まるでヤリ手ばばあのセリフなのだ。
「おばちゃん、なんで今までそれを黙ってたんだよ」
「なんでって…あたしゃね、あんな奴相手にあんたが… あっ まあ… ええっと… そのう…」
自分ではどうにもならないが、哲也のことが気にかかってしょうがなかったものだから、語尾を濁してしまった。
女同士なら、一目見ただけで素性は大体わかる。 おばちゃんにとって留守宅に忍び込む女なんぞ、性悪と相場が決まっている。
「…ひょっとしておばちゃん…」
覗き見してたんじゃと言われかけたような気になって、慌てて
「あんたもあんただよ。 あんな女に合鍵渡すなんて…」
ひょっとしてと言われ、実際そうなんだからバツが悪いのと、哲也がひょっとするを認めたように思え、そこから先は何も言わず、腹立ち紛れ風な恰好をしてさっさと家の中に引っ込んでしまった。
何か事件が起こると、真っ先に疑われるのは貧乏人。 女が留守の間であっても訪ねてきてくれていたのは有り難かったが、チラリと見た令状にあった遺失物については覚えがない。
ないながら彼女は、明らかにスジと思える漢と係りを持とうとしていて、しかもその漢は彼女に向かって、まるで以前から見知っているような口ぶりで躰の関係を迫っていた。
哲也の心の中に、どくろのように頭をもたげたソレが、あの女とかかわりを持つなと命じてくる。
そんなことがあったのに一夜明けると、まるで何事もなかったかのようにおばちゃんが声をかけてくる。 ひたすら疎ましかった。
(いいさ、俺にはこれがある)
疲れているはずなのに、この日哲也は一心不乱に漂流ゴミを漁った。
(わたしの感が狂った? そんなはずない。 きっと彼がそう)
つい今しがたまで小雨が降ってた海岸線で何かを探す哲也を、少し離れた高台から女は見ていた…というより見張っていた。
誰も見ていないだろうと思えるからこそ、ブツを探すはずと目論んでだ。 ところが哲也は、ガラス製の浮き球を見つけ、嬉々としている。
女は思った。 モノを探す感性と熱心さは、おそらく誰にも劣らないだろうと。 だから哲也に賭けた。 お礼という名前の代償を払って。
鍵を盗んだのも、哲也が海岸から拾い集めてくるゴミの中に、目的のモノが混じっていればと思ったからだ。
公園の廃屋に近づいたのも、そこで出逢った漢と絡まってしまったのも目的は同じ、ブツを探し出すためだった。 探し出すというより、誰がそのブツを扱うか、そこを突き止めたうえで押さえたかった。
哲也がおばちゃんに「ひょっとして」と言葉を発したのは、女との性的関係ではなく素性についてだった。 が、問うてもしょうのないことだと諦めた。
こういった点でも彼の感は鋭い。 その女 畠山紫野は東北某県警生活保安課の刑事 和義の妻で、全国を転々としつつ夫を助けあかりと名乗っていて、名目上は訪販をやりつつ捜査の真似事をやっていた。
どういった事情からそうなったのか知らないが、県警刑事の妻ではなく、躰を張り物証を掴むという、チンピラのスケがよくやるスジのバシタになり切っていた。
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アップデート 2024/02/21 12:45
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